車折神社は読み方はあまり知られていないようですが、その存在はとても有名なようです。そんな不思議な神社をひも解いていきましょう!
車折神社の読み方と神社の名前の由来とは?
車折神社は「くるまざきじんじゃ」と読みます。鎌倉時代に後嵯峨天皇が牛車で嵐山を訪れたときに、神社の前で牛車をひっぱる部分(轅、ながえ)が折れてしまいました。その際、後嵯峨天皇はご祭神に気づかず前を通ってしまったため、その非礼を詫び(神の怒りを恐れ)「車折大明神」の号と正一位を贈られたことから車折神社(くるまざきじんじゃ)と呼ばれるようになったとようです。
車折神社の歴史
車折神社のご祭神は、平安時代末期の貴族であり、当時の都を代表する一流の知識人で儒学者であった清原頼業(きよはらよりなり)です。その清原頼業の菩提を弔うために建てられた廟(びょう)が車折神社の前身です。清原頼業が生前桜の木を愛でていたことから、建立当初よりたくさんの桜の木が植えられていました。春になると河津桜、カンヒザクラや八重桜など、多彩な種類の桜が咲き乱れ華やかな世界が広がることから「桜の宮」とも称されてきました。
車折神社の御利益は?
車折神社は、様々なメディアでパワースポットとして紹介されています。
車折神社は、芸事・学業・金運・良縁等にご利益のあるパワースポットとしても有名で、境内にある芸能神社には多くの芸能人の方から玉垣が奉納されています。また境内には清原頼業と同族(清原氏)の、平安中期に一条天皇の中宮として仕えた才女 清少納言を祀る清少納言社もあります。
本殿:恋愛運、金運
清めの杜:悪運、悪因縁、厄災を浄化
神主がお祓いをした祈念神石(きねんしんせき)が、あらゆる願いを叶え、解決へ導くパワーストーンとして有名です。本殿の拝殿前には祈念神石で願い事が成就した方が納めたお礼の言葉を記した石が積まれています。
車折神社の例祭
嵐山は平安貴族の遊び場でした。平安貴族が楽しんだ舟遊び。
丹波の山間(やまあい)から流れる桂川と呼ばれますが、渡月橋のあたりは大堰川(おおいがわ)とよばれます。平安時代よりはるか前の古墳時代から川の水を利用する目的で堰(せき)がつくられたことからその名がつけられました。
車折神社の例祭 三船祭(みふねまつり)
嵐山では車折神社の例祭で、毎年5月の第3日曜日に三船祭(みふねまつり)が行われます。ご祭神である清原頼業が活躍された平安時代の舟遊びを再現したお祭りで、御座船・龍頭船・鷁首船を始めとする船の上では雅楽の演奏や平安時代に流行した歌や舞などが披露されます。公募で選ばれた女性が「枕草子」で有名な「清少納言」に扮するこの三船祭は、昭和天皇即位を記念して1928年(昭和3年)より催行されています。
舟遊びの歴史は、文献によると平安時代の834年に醍醐天皇が初めて大堰川で舟遊びをしたと残っています。当時行われていた舟遊びは、漢詩、管弦、和歌それぞれに秀でた貴族を集め、三隻の船に乗せ競い合わる三船の誉れ(さんせんのほまれ)というもので、藤原道長もこの遊びに興じていたと伝わります。
現在は有名な観光地である嵐山は、平安時代は平安貴族の遊び場だったようです。今も昔も嵐山は美しいようです。
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