嵐山の風景を楽しむ隠れた絶景スポットとして、嵐山公園展望台があげられるかと思います。実は平安時代からこの場所は美しい嵐山の景色が見える場所として親しまれてきました。今回は、はるか昔から日本人が美しいと感じた嵐山の美についてひも解いていきましょう。
ちなみに、渡月橋が架かる川は、大堰川(おおいがわ)と呼び、ここより上流が保津川、そして渡月橋より下流が桂川と呼ばれています。京都の加茂川もそうですが、京都では同じ川を色々な名前で呼ぶことが多いようですね。私はよく混乱してしまいます…
嵐山公園展望台はどこにある?
嵐山公園は、渡月橋のたもとに広がる臨川寺地区、中之島地区、そして亀山地区の3エリアに分かれています。保津峡を一望できる嵐山公園展望台は、亀山地区の小高い丘の上にあります。少し山に入っただけで雰囲気が、がらりと変わります。
また、亀山地区には、後嵯峨野天皇、亀山天皇及び後伏見天皇の三天皇を火葬した場所があり、宮内庁に管理されています。
嵐山公園展望台に平安時代の人々が見出した嵐山の美がある
平安時代の人びとが最も美しいと思った嵐山の風景は、渡月橋から西へ700mほどの小高い丘の上にありました。その場所が、現在の嵐山公園展望台となっています。私たちは嵐山公園展望台から渡月橋や川を眺め、美しいと思います。
平安時代の人々は、どのようなものが美しいと感じたのでしょうか?実は現代の私たちとは、美しい景色の楽しみ方が異なりました。平安時代の人々は川の逆側の京都の盆地(京都市内)を見て安心感を得ながら、渡月橋や川がある厳しい自然そのものを楽しんでいました。現代の私たちは、自然そのものを見て楽しみますが、平安時代の人々は景色の表情の違いを楽しんでいたという違いがあるのです。嵐山公園展望台は、平安時代の人びとのギャップ萌えスポットだったのですね。
室町時代の人々が見出した嵐山の美
室町時代になると、より積極的に自然に手を加えて、自ら美を構築するという段階になります。典型的な例が、天龍寺です。天龍寺の美しさについては、下記リンクでご紹介しております!
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嵐山の美を見出し京都の人々に伝えた一族 秦氏とは?
平安京ができる前、嵐山一帯を開発していた人々がいました。3世紀頃の渡月橋あたりの水面は、木材(丸太など)をためておく場所でした。この場所を造ったのが、日本にやって来た渡来人で、土木や養蚕など当時最先端の技術を持っていた秦氏です。秦氏にとって資源豊かな山と、人々が住む平地が交わるの「へり」嵐山は魅力的な場所だったのです。
秦氏の中心人物は、秦河勝(はたのかわかつ)で聖徳太子に仕えたことで有名なです。現在でも京都に住んでいた秦氏の痕跡として、6-7世紀頃に造られた秦氏のお墓「大覚寺古墳群4号墳 狐塚古墳(きつねづかこふん)」が残っています。しかし、現在は宅地造成され周囲から古墳の姿は全く見えなっているそうで、また京都市の管理ではないため、古墳への道も無くなり見学することは難しい状況のようです。
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