大室山は静岡県伊東市(伊豆高原)にそびえる標高580mのすり鉢状の噴火口を持つ休火山で、山全体が国の天然記念物および富士箱根伊豆国立公園に指定されています。現在は環境保全のために、登山道の利用は禁止されており、ふもとからはリフトを利用して山頂へ行きます。
今回は、大室山の形の秘密と、大室山の伝説についてひも解いていきましょう!
大室山のプリンのような美しい形は、どのようにできたのか?
約4000年前に平らな土地に噴火が起こり、粘り気の弱い溶岩のしぶきが急速に冷やされてできたスコリア(軽石の仲間)や火山弾が火口の周囲に降りそれが、円錐状にひろがり、そのまま固まって個性的なプリンのような美しい形の山になったそうです。スコリアは砂のようにある程度高くなると、急斜面になり崩れます。この崩れる角度を安息角(あんそくかど)いいます。安息角とは、砂や土などが滑り出さない限界の角度で、粒の大きさや形状によって限界の角度はことなります。スコリアの安息角は、大体30度です。
大室山は、伊豆東部火山群のなかで最大のスコリア丘で、大室山のふもとから流れ出た大量の溶岩は、伊豆高原や城ヶ崎海岸などをつくり出しました。山頂には直径300m(最大)、周囲1000m、深さ70m(南側水準点から火口底)の噴火口跡(真ん中がくぼんだ形のすり鉢状)があり、これを周回する「お鉢めぐり」では富士山をはじめ南アルプス、伊豆七島、房総半島まで見渡すことができます。噴火口跡の縁は、1周が勾配がある約1kmの散策路となっています。
このお鉢沿いには、海の方向を立って眺める「八ヶ岳地蔵尊」と、富士山の方を座って眺める「五智如来地蔵尊」の2種類のお地蔵様が鎮座しています。
私は大室山は近くでみると、年に一度の700年以上続く伝統行事 山焼きで木がなく鮮やかな草原が続くので、山というより草原と感じてしまいます。牛を放牧したら、さらに映えスポットになるのではないかと勝手に妄想してます。
大室山の美さのもう一つの秘密とは?
大室山のふもとの動植物園の池のあたりは、大室山の溶岩が流れ出しできた場所です。城ケ崎海岸や伊豆高原を造った溶岩は、大室山そのものではなく、この池のあたりから流れ出たものなのです。大室山が噴火をしたとき最初マグマはスコリアとなって大室山の現在の火口から噴き出しました。しかし、次第に火口が詰まってしまい、マグマは新たな出口を大室山のふもとに見つけ流れ出たのです。
山頂付近から溶岩が流れ出ると山腹を崩してしまうことがありますが、大室山は山腹が崩れている部分がなく、美しい円錐形となっています。そして、大室山は火口も美しいのです!なぜならば、4000年前に噴火し、それ以降は大室山の火口で噴火していないのです。このような火山を単成(たんせい)火山といいます。
これに対し富士山は何度も噴火している複成火山といいます。富士山は長い時間をかけな火口付近から何度も噴火しは、火口付近の形が変形しゴツゴツしています。
大室山浅間神社(おおむろやませんげんじんじゃ)
富士山信仰
古来より大室山は、山自体が御神体と考えられており、その噴火口中腹(東側)に大室山浅間神社が鎮座しており、江戸時代には有名な信仰の場所だったようです。浅間神社は江戸時代に隆盛を極めた富士山信仰(富士講=明治以前は神仏混淆)で、静岡県富士宮市にある富士山本宮浅間大社が、総本宮です。
大室山浅間神社の御祭神
大室山浅間神社の御祭神は大山祗神(おおやまつみのかみ)の子女盤長姫命(いわながひめのみこと)で、富士山本宮浅間大社の主祭神である木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)の姉にあたります。大室山で盤長姫命が無事子供を産んだということから、安産の神様として崇められています。
浅間神社は全国に1300社以上あるといわれますが、富士山をはじめそのほとんどが木花之佐久夜毘売命(このはなさくやひめにみこと、神仏習合時代には「富士大菩薩」「浅間大菩薩」ともよばれた)を御祭神としていますが、大室山浅間神社や鹿児島県の雲見浅間神社(くもみせんげんじんじゃ)など一部の浅間神社は、磐長姫命(いわながひめのみこと)を御祭神とする珍しい神社といえます。
大室山浅間神社の社殿は、3代将軍徳川家を光、そして4代将軍徳川家綱を補佐し、「知恵伊豆」(伊豆守という官職と知恵出づとかけた)と呼ばれた松平信綱が神仏混淆時代の1654(承応3)年に創建しています。
また、毎年7月8日に祭典が行われ、前夜は大勢の男たちがお籠り(おこもり)するそうです。
大室山の二人妻伝説、大室山と富士山の関係とは!?
神代の昔のお話です。
盤長姫(いわながひめ)と木花咲耶姫(このはなさくやひめ)は、大山祗神(おおやまつみのかみ)娘で、盤長姫(大室山)が姉で、木花咲耶姫(富士山)が妹です。二人はとても仲の良い姉妹でした。妹は絶世の美女、一方姉の方はあまり器量がよくなく、対象的な容姿をしていたそうです。
ある日のこと、瓊々杵命(ににぎのみこと)という若い男の神様が妹の木花咲耶姫(妹・富士山)に一目惚れをし、瓊々杵命は木花咲耶姫(妹・富士山)の父親である大山祇神のところに行き、「木花咲耶姫(妹・富士山)を、是非お嫁に下さい」と頼みました。大山祇神(父)は「姉妹はとても仲が良いので、二人いっしょなら差し上げましょう」と云うことで、瓊々杵命は姉妹二人を妻にしました。
ところが、瓊々杵命は美しい妹の木花咲耶姫ばかりを可愛がり、姉の盤長姫をだんだん遠ざける様になりました。このことが原因で、姉妹の仲はだんだん悪くなっていき、やがて姉妹はお互い憎みあい喧嘩をする様になりました。そのため瓊々杵命は、とうとう姉の盤長姫を大山祇神(父)のもとに送り帰してしまいました。
やがて実家に帰った盤長姫(姉)は、自分が子供を身ごもっていることを知りました。そこで父親
の大山祇神は、娘の安産と孫の無事誕生を願って盤長姫(姉)のために伊豆の大室山に産所(産殿)を建ててやりました。そして盤長姫(姉)は無事、丈夫な赤ちゃんを生むことが出来たということです。そして盤長姫(姉・大室山)と木花咲耶姫(妹・富士山)は、昔のような関係には戻らなかったということです。
神話って、現代のドラマに負けず劣らずドロドロした関係が書かれていますよね。それが、古来から変わらない人間の性質というものなのでしょうか。
大室山で富士山を褒めると祟りがおきる!?
それをきっかけに盤長姫(姉・大室山)は木花咲耶姫(妹・富士山)を恨み続け、盤長姫(姉・大室山)は相当怒りに満ち溢れていて、幸せそうな木花咲耶姫(妹・富士山)に呪いをかけていたようです。古事記によると、木花咲耶姫(妹・富士山)は幸せは長く続かなかったようですが…
とはいえ、盤長姫(姉・大室山)と木花咲耶姫(妹・富士山)の姉妹仲はもとに戻らず、2人は今も睨み合ったままなので「大室山に登って富士山の美しさを褒めてはいけない」という言い伝えが残っています。
五智如来地蔵尊(ごちにょらいじぞうそん)
頂上西方旧登山道口に等身大の五体の如来が安置されています。1663(寛文3)年、相州岩村(現在の神奈川県足柄下郡真鶴町岩)の綱元 朝倉清兵衛の娘が9歳で身ごもり、その安産を大室山浅間神社に祈願したところ無事安産したので、「おはたし」と称してお礼に安置したものです。
真鶴石で五智如来地蔵を築造し、船で城ケ崎の富戸湊に運び、富戸の強力兄弟が一体を3回に分けて背負い、合計15回の登山で運び上げたといわれています。
五智如来とは、密教における5つの知恵である法界体性智(ほうかいたいしょうち=大日如来の知恵)、大円鏡智(だいえんきょうち)、平等性智(びょうどうしょうち)、妙観察智(みょうかんざっち)、成所作智(じょうしょさち)を5体の如来にあてはめたもので、大日如来(だいにちにょらい)、阿閦如来(あしゅくにょらい)、宝生如来(ほうしょうにょらい)、阿弥陀如来(あみだにょらい)、不空成就如来(ふくうじょうじゅにょらい)を合わせて金剛界五仏、あるいは五智如来と呼ぶそうです。
八ヶ岳地蔵(やつがたけじぞうそん)
海上安全、海難防除、大漁祈願のため、近隣沿岸の漁師たちによって安置されました。昔、地元伊東周辺の漁師は、八丁櫓で勢いよく海へ乗り出し、大室山を目印にして自分の現在地を把握したり、最良の漁場を定めました。地元の漁師が安置したの地蔵尊ですが、痛みが激しくなったので、昭和59年に2代目が安置されました。
大室山は海上安全、そして大漁祈願の聖なる山でもあったのです。
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