切通(きりどおし)は鎌倉の心霊スポット!?歴史の道百選の一つ切通のおススメ観光スポットはどこ?

切通(きりどおし)は鎌倉の心霊スポットという「うわさ」があるようでどのよす。

一体どのような「うわさ」なのか、そして切通の歴史についてひも解いていきましょう!

切通は鎌倉の心霊スポット!?

鎌倉で有名な小坪トンネル(通称:おばけトンネル)上に、武士の霊が出るとの目撃談がある心霊スポットとして有名な「名越(なごえ)切通まんだら堂やぐら群」があります。

「まんだら堂やぐら群」とは?

ずばり、お墓です。

「まんだら堂やぐら群」のやぐらの一つひとつは2m四方程度と小規模で構造も単純なものが多いですが、150穴以上の存在が確認されているやぐら群です。なお、「まんだら堂」の名が確認できる最も古い文献は、文禄三年(1594年)の検地帳なのだそうです。

「まんだら堂やぐら群」の前の広場で15世紀頃の火葬跡(かそうあと)が多く見つかっているそうで、その多くは楕円形で浅い皿形をしていて、四角い形の珍しい火葬跡も見つかっているそうです。

「まんだら堂やぐら群」の五輪塔は、主に火葬した骨を納めるなどして供養するために建てられたもので、その対象は武士や僧侶に加え、経済力を蓄えた商工業関係者なども含まれていた可能性があると考えられているようです。

出土した遺物から、鎌倉時代の後半(13世紀末頃)から平場の造成とやぐらの掘削が行なわれ、室町時代の中頃(ほぼ15世紀いっぱい)まで供養などが行なわれていたと考えられています。

しかし、供養された人は成仏しているのでは?


切通とは?

切通とは、現代の軍事用語でいう「キル(殺す)ゾーン」です。鎌倉時代、陸路で鎌倉の町を攻撃しようとすると、この切通を通る必要がありました。鎌倉時代は親子であろうと、兄弟であろうと殺しあうといった物騒な世の中で、かつ切通は「キル(殺す)ゾーン」、そして中世都市の周縁の歴史的景観を良く残している場所ということですので、直感的に怖いと感じる環境であることから、心霊スポットと言われているのかもしれないですね。



歴史の観点から切通をひも解き開始!

 

鎌倉は鶴岡八幡宮や鎌倉大仏、あじさい寺で有名な観光地ですが、もともと鎌倉は源頼朝が築いた武士の都で、観光とは真逆の場所の軍事都市でした。源頼朝が町づくりをおこない、鎌倉に「切通」が造られました。現在この鎌倉の切通は文化庁が「歴史の道百選」に選んでいるほど、歴史好きが訪れる観光スポットにもなっています。

この「切通」とは一体何なのでしょうか?源頼朝の鎌倉の町づくりをひも解いていくと、切通が何なのかがよくわかります。

さあ、鎌倉の町づくりから、ひも解いていきましょう

源頼朝の町づくり

源頼朝は下記の2つの施設を中心に鎌倉の町づくりを始めました。

八幡宮

源頼朝が鎌倉に入ったときに、もともとは(武士の守り神・八幡神(はちまんしん)をまつる)八幡宮は由比ガ浜の海岸の方にあったのですが、それを現在の場所にうつし鶴岡八幡宮ができました。武士の守り神 鎌倉の町全体を守るための神様として現在の場所にうちしたそうです。


大倉幕府

清泉小学校の角に、「大倉幕府旧蹟(きゅうせき)」の石碑があり、この大蔵の土地に将軍・源頼朝が築いた御所がありました。

「大倉」というのは土地の名前で、「幕府」は将軍の御所のことです。大倉幕府旧蹟は、源頼朝が住み、政治を行っていた場所です。

次に配下の有力武士の館をつくらせました。北条義時の館は大倉幕府のすぐ東、梶原景時の屋敷はさらに東にあり、比企能員(ひきよしかず)の屋敷は大倉幕府の南にありました。現在比企能員の館の跡には妙本寺というお寺が建てられ、比企能員一族の墓が大切に残されています。


切通(きりどおし)とは?

しかし、険しい山に囲まれた鎌倉に多くの武士が鎌倉に移り住んだ結果、十分な生活物資を運びこめないという問題が起こりました。この難題を解決するため、鎌倉幕府は新たな事業にのり出しました。外部との往来を盛んにするため、幕府が山々に築いたのが切通です。後に鎌倉七口(ななくち)に呼ばれる切通が、鎌倉の町を囲むように整備されていきました。

亀ヶ谷坂切通
巨福呂坂切通
朝夷奈(あさいな)切通

巨大な崖に阻まれているような絶景スポットです。岩肌をよく見ると溝のようなものがありまが、これは掘った時についたノミの跡なのです!

大仏(だいぶつ)切通

鎌倉時代の面影を最もよく残しています。

仮粧坂(けわいざか)切通

京都方面への主要な出入り口であるとともに、さらに北へ上って北関東の方へ続いていく道です。

極楽寺切通
名越(なごえ)切通

片側から大きな石が迫ってきて、人ひとりしか通ることができません。この大きな石は関東大震災で動いてしまったものだそうです。

『歴史探偵』おススメ切通スポット!

NHKのテレビ番組では、朝夷奈(あさいな)切通と名越切通が、おススメスポットとして紹介されていました。


切通の強さの秘密とは?防御力とは?

鎌倉は周りが山に囲まれていて、防御が固いから鎌倉が都市に選ばれました。山の向こうから攻めてくる敵をいかに食い止めることが必要ですが、その鍵となるのが切通の守りです。

上り坂の入り口と出口に2か所にクランク(曲がり角)があります。しかも道の両側にある崖はもともと一つの山でしたが、わざわざ掘り下げてクランクの道を作ったと言います。


少人数で大勢の敵を止めることができる場所

切通からは道が曲がっているだけでも攻撃しにくいのですが、切通は両端が切り立っていることから、鎌倉守備の場合は上から射下すことができるものの、鎌倉を攻撃する場合は鎌倉守備がいる下の道から見上げて弓を射る必要があるので、非常に不利です。

一本道だった左右から弓を射るだけですが、クランクになっているため左右と正面、いわゆる十字砲火(左右と正面の三か所に兵を配置)ができます。誘い込んで十字砲火で、確実に仕留めていく場所を、軍事用語で「キルゾーン」というそうですが、切通のクランクは「キルゾーン」に該当するそうです。

戦国時代の城に、切通とよく似た設備「枡形虎口(ますがたこぐち)」があり、道が直角に曲がっているので、敵が攻めてきても三方向から攻撃できる最強の防御設備です。



現存する最古の人口の港とは?

さらに鎌倉の交通網を広げるために幕府が目をつけたのが、海(由比ガ浜)です。幕府は海から物資を運びこむため、由比ガ浜に「和賀江島(わかえじま)」を築きました。現存する最古の人口の港で、今でも漁船の停泊地として利用されています。海上交通を整えたことで、鎌倉には西日本や東北から大量の物資が運ばれるようになりました。『海道記』によると鎌倉時代の中頃には、由比ガ浜に数百そうの船が停泊するほどの賑わいをみせたと言います。

流通網が整備されたことで、鎌倉には武士たちを相手にする商人もやってきます。町が豊になるにつれ、鎌倉大仏をはじめ壮麗なお寺も次々と登場しました。鎌倉の人口は最盛期には10万に達しました。現在の鎌倉の中心部の人口が5万ですので、鎌倉時代には現在の2倍ほど人が鎌倉に住んでいたということになります。


鎌倉は日本中から物が集まる巨大な消費都市へと変貌を遂げたのです。人だけでなくで物も、そしてお金も、色々な文化、情報そういったあらゆるものが、鎌倉に一気に入ってきて、とにかく新しいものが来れば、どんどん取り入れてしまうような、ものすごい吸引力が当時の鎌倉にはあり、巨大な掃除機で吸い込まれていくように色々なものが集まってくるようだったと想像されています。

当時、京の都がものすごい大都市で、物や人が一極集中する感じだったのが、関東に京都に匹敵するようなすごい大都市ができたので、人、物、お金の流れが大きく変わっていきました。


関連リンク

鶴岡八幡宮や鎌倉大仏については、下記リンク先でひも解いています!

方広寺の大仏は秀吉の幻の大仏、そして現在も観光名所の鎌倉の大仏。秀吉の京都の幻の大仏と鎌倉の大仏それぞれの大仏が造られた理由とは?

鎌倉 鶴岡八幡宮の裏で起きたおやつ騒動とは?鎌倉の大仏様に3年に一度贈らるものとは何?

アジサイで有名な長谷寺境内にある観音ミュージアムの観音三十三応現身については、下記リンク先でひも解いています!

観音 三十三身/三十三観音とは? 変化(へんげ)や応現(おうげん)とは?三十三観音一覧!

京都の怖い場所をご紹介!

貴船神社は呪いで有名!?呪いの起源 丑の刻参りとは?奥宮の伝説とは?貴船神社はパワースポットで、絵馬発祥の地!!

鞍馬山はやばい!?怖い!?鞍馬寺の地下は怖い!パワースポットの秘密とは?そして有名な鞍馬山の天狗の正体とは?

六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)は怖い!?鐘で霊をあの世から呼び戻す迎え鐘(むかえがね)とは?



コメント

タイトルとURLをコピーしました