豪徳寺の招き猫は何匹いる?由来とは?ひこにゃんとの関係とは?招き猫の右手の左手の意味、手の高さ、色の意味とは?

豪徳寺は、世田谷城(せたがやじょう)の城主が暮らすスペースがあったと考えられる場所に、江戸時代に建てられたお寺です。現在は、駅の名前にもなっている世田谷を代表するお寺 豪徳寺には、招き猫が祭られているお堂があります。そして大小さまざま、しかし同じ顔で同じように右の前脚を上げたたくさんの招き猫が奉納されている、現在は海外の方にも人気の場所です。

そして豪徳寺は、台東区の「浅草今戸神社」や、新宿区落合南長崎にある「自性院」と並び、「招き猫発祥の地」として知られています。

今回は豪徳寺の招き猫についてひも解いてみましょう!

豪徳寺の招き猫は何匹いる?

豪徳寺では、授与品として高さ2cmから30cmの様々な大きさの招き猫(招福猫児)を、500円から7,000円授かることができ、この招き猫(招福猫児)を奉納する場所(奉納所)があります。

豪徳寺には招き猫(招福観音)が祭られているお堂(招福殿)があり、その横に招き猫を奉納する場所があります。ここに奉納された招き猫は、2023年9月時点で、15,721体あります。


豪徳寺の招き猫の由来とは?

豪徳寺の招き猫の由来は、豪徳寺の飼い猫の「たま」でした。たまが福を招いたことから、招き猫として祭るようになったと言われています。

豪徳寺の猫(たま)の招いた福とは?

江戸時代初期に彦根藩の藩主井伊直孝が、鷹狩りに出かけた帰り道、小さなお寺の前を通りかかると、白猫(たま)に手招きされ井伊直孝がお寺に立ち寄り、お寺で過ごしていると突然雷がなり、雨が降りました。井伊直孝は、白猫(たま)のおかげで雷雨を避けられたうえ、和尚様との会話を楽しむことができた幸運を喜びました(雷雨によって倒れてきた大木を避けることができ、命拾いしたという説もあり)。その後井伊伊直孝は、豪徳寺を支援し1633(寛永10)年に再興したのです。

豪徳寺では福を招いた白猫(たま)は大切に崇められ、その猫を「招福猫児(まねきねこ)」と呼び、「招福猫児(まねきねこ)」をお祀りする招福殿が昭和16年に建てられました。


なぜ彦根藩の藩主が世田谷に?

豪徳寺の歴史は、世田谷城主吉良政忠が亡くなった伯母の菩提の為に、1480(文明12)年世田谷城内に弘徳院を創建しました(豪徳寺の前身)。そして、1633(寛永10)年、世田谷は彦根藩の領地となりました。ちなみに、豪徳寺の名前は、井伊直孝の法名(久昌院殿豪徳天英居士)からつけられています。

豪徳寺の招き猫・招福猫児の特徴

豪徳寺の招福猫児(まねきねこ)は、白猫で小判を持っておらず、右手を上げています。福猫児(まねきねこ)は、人を招いて縁(チャンス)をもたらしてくれますが、福そのもの(結果=小判)を与えてくれるわけではないそうです。人と大切なご縁を生かせるかどうかはその人次第ということです。

そして、手を上げている理由は、「武士にとって左手は不浄の証とされていたから」という説があります。また、武士には利き手が右手の人が多かったようで、左側の鞘に収まっている刀を右手で抜き使うので、右手が重要視されていたことから、招き猫も右手をあげるようになったという説も。


豪徳寺の招福猫児(まねきねこ)で願いを叶える!

豪徳寺の御利益は、「崇め祈れば吉運、立ちどころに来る家内安全、営業繁盛、心願成就」と言われています。

本来豪徳寺の招福猫児(まねきねこ)は、購入後願をかけ持ち帰り、願い事がかなったら奉納するようですが、最近は持ち帰らず招福猫奉納所に奉納する人が増えているようです。どうやら必ず持ち帰らなければならないというわけではないようです。


一般的な招き猫の意味とは?

招き猫、右手と左手の意味とは?

右手:「福(金運)を招く」(そして小判を持っている) – 金運上昇

左手:「人(人脈、良縁)を招く」- 千客万来・商売繁盛

両手:①お金も人も招く、②お手上げ”万歳=お手あげ”と見なす

招き猫手の高さの意味とは?

耳より高くあげている:遠くの福を招く

耳よりも低くあげている:近くの福を招く


招き猫の色の意味は?

一般的には白猫や三毛猫ですが、そのほかで伝統的なのは黒猫と赤猫です。

黒猫:夜でも目がきくとされたことから「福猫」と呼ばれ、魔除け・厄除けの力がある

赤猫:疱瘡や麻疹の神は赤い色を嫌うと信じられたことから、病除けになる

最近の招き猫

  • 白 …… 開運招福、商売繁盛
  • 黒 …… 魔除け、厄除け、家内安全
  • 赤 …… 病除け、無病息災
  • 金/黄 …… 金運上昇
  • ピンク …… 恋愛成就
  • 青 …… 学業成就、就職成功、交通安全
  • 緑 …… 家内安全、学力向上
  • 紫 …… 健康長寿



豪徳寺の猫とひこにゃんの関係とは?

実は滋賀県彦根市のご当地キャラクター「ひこにゃん」のモチーフになったのが、豪徳寺の猫なのです!

しかしなぜ、世田谷にある豪徳寺の猫が、滋賀県彦根市のご当地キャラクターのモチーフとなったのでしょうか?実は、豪徳寺は彦根藩井伊家の菩提寺(ぼだいじ)というつながりがあるのです。ようするに、井伊家先祖代々のお墓があるお寺なのです。

ではなぜ、彦根藩の井伊家の菩提寺が世田谷の豪徳寺なのでしょう??実は、江戸時代の世田谷は井伊家が治めていた場所でした。大老(たいろう) 井伊直弼(いいなおすけ)で有名な、彦根藩の井伊家は、徳川家康の時代から幕府を支え続けました。井伊家が治める彦根藩の領地として、江戸の近くに与えられたのが、世田谷の村々だったのです。世田谷は彦根藩の江戸屋敷から歩いて2~3時間の場所でした。そんなご縁で、豪徳寺の猫が、滋賀県彦根市のご当地キャラクター「ひこにゃん」のモチーフとなったのです。


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