日本のパスタの歴史とは?たらこスパゲティの誕生秘話とは?

日本のパスタ(マカロニを含む)の国内供給量は右肩上がりで、年間25万トン以上で,1974年と2023年を比べると約3倍になります。栃木県宇都宮市にある1万2000坪という広大な敷地に日本最大級の生産能力を兼ね備えたマ・マーのスパゲッティ工場では、1日約25万袋のスパゲッティが作れるのだそうです。この工場では毎日150トンの小麦粉を使用するのだそうです。

現在人気のパスタと言えば、チーズとミートソースの溶岩パスタや、SNSで人気の暗殺者のパスタ(麺をトマトソースで炒め煮していく。フライパンにトマトソースを入れるときに勢いよく跳ねるソースの物々しい様子からこの名がついた)があります。

今回は、そんなみんな大好き(?)日本のパスタの歴史をひも解いていきましょう。

日本製スパゲッティの歴史とは?

茹で時間短縮スパゲッティ

日本では、太さ1.4mm~1.9mmほどのパスタを、スパゲッティと呼んでいます。日本製スパゲッティの歴史とは、茹で時間短縮への挑戦の歴史でもあります。一般的な太さ1.6mmのスパゲッティの場合、通常ゆであがるまで約7分ほど必要なのですが、同じ太さのスパゲッティでも茹で時間3分という商品が開発されています。

1980年代後半に共働きが一般化し、家事の時短が求められ出した時代のなかで、1986年V字の切れこみを入れることで茹で時間を7分から3分に短縮することに成功しました。しかし、茹で時間短縮に成功したものの、ある弱点がありました。それは、スパゲッティは茹であがっても少し歯ごたえのあるアルデンテと呼ばれる状態がよいとされていますが、V字だと切れこみが深いので火が通りすぎ完璧なアルデンテにはならなかったのです。


そこで完璧なアルデンテを目指し、切れこみを2つ、3つと増やして、様々なパターンを検証しました。中には8つの切れこみパターンもありました。0.01mm単位で微調整し、およそ100パターンも検証したそうです!こうして検証・改良を繰り返すこと26年、風車のような断面(風車型)にたどり着き、2011年に茹で時間3分の3枚羽の風車型スパゲッティが発売されました。断面を風車のようにすることで、スパゲッティの表面積が増え、熱と水分を取り入れやすくなり茹で時間の短縮が可能になるのです。ちなみにゆであがると、膨らんで隙間がなくなり、風車のような断面がまんまるになります。この車型スパゲッティは、発売するや大きな話題になり、発売から10年で累計売上340億円を記録しました。2022年には改良を加えた4枚羽の怪座車型になりました。

現在では様々なメーカーから、三つ葉型など微妙に形が異なった早茹でスパゲッティが売られています。


日本のスパゲッティの小分けテープ

日本ではパックされたスパゲッティは、一般的な一人前の100gずつにテープで小分けされていますが、世界的にみて小分けにするのは日本のメーカー以外はやっていないことのようです。日本ではいちいちスパゲッティを分量を量る手間を省けるよう、お中元でおなじみのそうめんの帯から着想を得て発明されたと言われています。

日本のスパゲッティのチャック付きパッケージ

そしてチャック付きパッケージも日本ならではのものです!昔は輪ゴムや洗濯ばさみでとめて保管する人が多かったようですが、手間がかかって面倒という声が多かったそうで、1990年代頃チャック付きの袋が採用するようになったのだそう。


2020年ごろに大ヒットしたスパゲッティ

2020年頃コロナ禍でおうち時間が叫ばれ、新たに自炊を始めた人たちに、人気となったスパゲッティがあります。それは、小さい鍋でも茹でやすくした、従来のスパゲッティの2/3ほどの長さに短くしたスパゲッティです。一人暮らしで小さなキッチンで、大きな鍋でパスタを茹でられない、通常の長さのスパゲッティだと、鍋のフチでスパゲッティが焦げてしまうなど不便ですものね。しかも、スパゲッティの乾麺を両端から曲げていったとき、2つに折れるのではなく、ほぼ確実に3つ以上のピースに分かれてしまいます(乾麺を約360度(正確には長さ25.4cmのスパゲッティの場合で約270度)捻ってからゆっくり曲げることで、乾麺を2分割できるという論文が発表されました)。

あるメーカーでは発売からおよそ3年で売上700万袋を突破、その金額はおよそ約25億円!


日本のスパゲティメニューの歴史

食文化史研究家の畑中三応子(はたなかみおこ)さん曰く、日本のスパゲティのメニューの歴史を見ると、その時代の世相(時代背景)が見えて面白いのだそう。

日本生まれのナポリタンとミートソース

日本でスパゲティが普及し始めたのは1950年代くらいからで、当時ほとんどのお店でメニューは、ナポリタンとミートソースの2つしかありませんでした。

ナポリタンといえば、スパゲティを玉ねぎ、ピーマン、ソーセージなどの具材と炒め、トマトケチャップで味付けしたもの。子どもたちにも大人気でお弁当や洋食の付け合わせとしてもお馴染みです。このナポリタンは日本独自のスパゲティなのです。原型ができたのは戦後間もない頃で、進駐軍の兵士がトマトケチャップをスパゲティにあえているのをマネして作ったのが始まりと言われています。

ミートソースもイタリアのものとは異なります。イタリアでひき肉を使ったパスタは平打ち麺が多く、ゴロゴロのひき肉をたトマトや赤ワインで煮込むシンプルな味付けで、レストランではボロネーゼという名前でお馴染みです。一方日本のミートソースはケチャップを使って甘めに仕上げるのが特徴です。ミートソースはボロネーゼがアメリカに伝わってよりお手軽に作られるように変化したものが、さらにアメリカから日本に伝わって定着したものなのです。


観光目的の海外旅行自由化

戦後の日本ではしばらくの間、観光目的などでは海外に行くことができませんでした(政治家の外交目的の海外渡航は認められていました)。1964年4月規制が緩和され、観光目的でもパスポートが発行されるようになりました。その後、円高も追い風となり海外に行く人が増加しました。その影響もあって1970年代にはイタリアのスパゲティメニューが続々と日本に入ってきました。カルボナーラやボンゴレなど、今ではお馴染みのメニューもこの頃日本に入ってきました。しかし、この頃イタリアンはマイナーなジャンルでした。当時おしゃれなカップルのとっておきのデートスポットはフレンチレストランでした。男の子たちは背伸びをして、高級フレンチを予約する時代でした。


バブル期に空前のイタ飯ブーム

1980年代後半に状況は一変しました。バブル期になるとイタリアンがとても流行しました。ティラミスやパンナコッタもこの頃とても流行りました。テーブルマナーやお高いイメージのフランス料理に疲れたのか、カジュアルに楽しめるイタリア料理が注目されるようになりました。バブルの頃は「楽しけりゃいいじゃん!」「おいしけりゃいいじゃん!」というノリだったのだそう。この空前のイタ飯ブームの中、メジャーなスパゲティの仲間入りをしたのが、ペペロンチーノです。イタリアではとても庶民的な料理で、カジュアルに楽しみたいバブルの雰囲気とマッチして大ヒットしたのです。

海外から入ってきたスパゲッティがメジャーになっていく一方で、日本独自のスパゲッティも誕生しました。和風スパゲティは、ナポリタンとミートソースが2代巨頭として君臨していた1960年代から脈々と受け継がれていたのです。今でもお馴染みのたらこ、海苔、納豆、ネギなど日本の食材をアレンジした和風スパゲティですが、そのうちの一つたらこスパゲティの誕生秘話をひも解いてみましょう!


たらこスパゲティ誕生秘話とは?

和風スパゲティを広めたとされるのは、東京渋谷にある壁の穴というパスタ店です。壁の穴は1963年に渋谷に移転してきたのですが、当時NHKが近くにあったこともあってNHK関係者がよく来店したそうです。その常連さんの中にNHK交響楽団のホルン奏者がいて、ヨーロッパのお土産でキャビアを持ってきて「これで何かを作ってくれ!」と言ったのだそうです。そこで、キャビアを使いスパゲティを作ると、驚きのおいしさだったので、メニュー化を検討しました。しかしキャビアを材料にすると価格が高くなってしまうので、それに代わる食材を試行錯誤したけっか、たらこにたどり着いたのです。さらに海苔茶漬けからヒントを得て、海苔をのせるなど、独自のアレンジを加えて1967年たらこスパゲティの提供を開始ししたところ、たちまち人気に!たらこスパゲティの提供開始から50年以上たちますが、現在でも多いときで月に1000食以上売り上げる看板商品なのだそう。


コメント

タイトルとURLをコピーしました