ゴッホのひまわりはなぜ有名なのか?ゴッホがひまわりを描き始めた理由は?ゴッホはなぜ「ひまわり」にごたわったのか?

東京新宿の高層ビル街の一角にあるSOMPO美術館に、オランダ生まれのが画家フィンセント・ファン・ゴッホ(1853-1890)がフランスのアルルで1888年に描いた15本のひまわりが花瓶にさされた作品(105.cm X 76.5cm)が所蔵されています。ゴッホの「ひまわり」といったら有名な作品ですが、どのように東京にやってきたのか?なぜゴッホのひまわりは有名なのか?謎をひもといていきましょう!

ゴッホのひまわりはなぜ有名なのか?

1987年日本の保険会社がオークションで53億円(!)で落札し、東京にやってきました。大きな価値があるとされた一つが、ゴッホの人生におけるこの作品の意味でした。

オランダ南部のズンデルトで牧師をしていた父の影響でキリスト教の影響を色濃く受けて育ちました。一時は父と同じ牧師になることを目指しましたが、それは実現しませんでした。もう一つ目指したのが美術商ですが、こちらも上手くいきませんでした。ゴッホは情熱的に仕事に取り組んだのですが、人との距離感をうまく保てませんでした。教会の仕事も、美術商の仕事も、のめり込みすぎて人との距離を縮めすぎました。そいうした姿か周囲から受け入れられず、何度も失敗を重ねたのです。そんななか27歳で画家になることを決意しました。当初ゴッホは都市化や工業化が進む時代の中で、誠実に生きる庶民の姿を数多く描きました。しかし、暗い絵だったからか、ゴッホの絵が評価されることはありませんでした。


そんなゴッホですが、27歳で画家をこころざし、37歳でこの世を去るまでの10年間で2000枚を超える絵を描き残します。ゴッホの生前、絵が売れることはほとんどなく、亡くなった後に高い評価を得ました。その傑作の多くは「ひまわり」を描くことになってからの数年間で生み出したものなのです。ゴッホはある時期にひまわりを何枚も描き、このひまわりを描くことで独自の画風を身につけたのです。よって、ゴッホにとって「ひまわり」の絵は重要なものと言えます。

ゴッホがひまわりを描き始めた理由は?

オランダでゴッホは自分に足りないものは何かと考え続け、やがてフランス、パリへと向かいます。当時のパリはヨーロッパ中の画家が集まる芸術の中心地でした。ゴッホが住んだのはモンマルトルという歓楽街でした。美術商の会社で出世していた弟のテオを経済的に頼り、2人で暮らし始めました。パリにきてゴッホが心惹かれたのは、ルノワールやモネといった印象はの画家たちです。そしてスーラの無数の点で色彩を表現する点描という画法に刺激を受けます。このころ、まだ独自の画風を確立していなかったゴッホは、他の画家の技法であっても貪欲に試していきました。

ゴッホはパリにきて「もしも今の自分にモデルに支払うお金があれば、きっと人物画を描くことに没頭していただろう。だが今はその代わりに花を描くことで、色彩の研究をしているんだ」という言葉を残しています。そしてゴッホは「ひまわり」に取り組むのです。実はゴッホはパリにくるまで、あまり花は描いていませんでした。花は色々な色があるので、組み合わせを研究するには、とてもいい材料となりました

また色彩に関して、「私は、目の前にあるものを正確に描こうとする代わりに、自分自身を力強く表現するため、思うがままに、色をつかっている」という言葉も残しています。ようするに、「ひまわり」の絵を描くのではなく、「ひまわり」という題材をつかって、自分自身の何かを色をつかって表現したいということのようです。


さらに、19世紀後半のパリは商工業が盛んになり、裕福な市民階級(ブルジョワジー)が台頭してきていました。彼らの間で家に絵を飾ることが流行し、中でも花の絵が人気だったのです。きれいな花を描けば、少しは絵が売れるかもしれないというゴッホの期待もあったと考えられています。

ゴッホはなぜ「ひまわり」にごたわったのか?

ゴッホには一つの夢がありました。それは画家たちが一緒に暮らしながら、切磋琢磨するということです。ゴッホは南フランスのアルルに移り住み、アルルの家を共同生活の拠点にしたいと考えていたのです。そして、その呼びかけに答えたのが、画家仲間のゴーギャンでした。

ゴーギャンは、ゴッホより5歳年上でお兄さんのような存在であり、また若手の画家のグループリーダーのような存在で尊敬できる存在でした。しかも人の作品を褒めることはなかったゴーギャンが、パリでゴッホの描いた2枚の「ひまわり」の絵が欲しいと言ったので、ゴッホはとても嬉しかったようです。ゴーギャンが褒めてくれたことで、ゴッホにとって「ひまわり」は重要なモチーフとなったのです。

そのゴーギャンとアルルで共同生活ができるということは、ゴッホの喜びはとても大きなものでした。ゴッホはゴーギャンが好む「ひまわり」の絵で家を飾ろうと、さらに7枚の「ひまわり」の絵を描きました。そこには壮大なプランがありました。ゴッホは「僕らのアトリエでゴーギャンが一緒に区rしてくれるならアトリエの装飾をしてみたい。大きなひまわりの絵だけの装飾だ。もしこの計画を実行に移せたら、12枚の装飾画になる。全体は青と黄色のシンフォニーになるだろう。」と言葉を残しています。ゴッホのひまわりへのこだわりは、ゴーギャンという人物の存在によって、膨らんでいったのです。



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