歩くパワースポットとよばれるSHOCK EYE(湘南乃風)さんが江戸時代をテーマに厳選した「2024年も運気アップ!最強!大江戸パワースポット」を日立 世界ふしぎ発見!(TBSテレビ)で紹介していましたので、まとめてみました!まずは、、、
SHOCK EYEさん流参拝ポイント!
年間100社以上参拝する歩くパワースポットSHOCK EYEさんには、こだわりの参拝方法があるそうです。
SHOCK EYEさん流参拝ポイント①:お賽銭は”重ね重ね感謝”で200円だそうです。小銭に両替すると手数料がかかると聞いたので、キリのよい大きめの硬貨で100円玉なのだそうです。
SHOCK EYEさん流参拝ポイント②:お参りは、お願いより感謝を伝えます。そうすることで日常の小さな幸せにも気付けるようになります。
2024年一押しの開運神社は箱根にある!
歩くパワースポットSHOCK EYEさんが2024年一押しするのが、芦ノ湖を囲むように連なる山々は古代から関東の山岳信仰の一大霊場「箱根」です。そして箱根で2024年行くべき神社は、芦ノ湖を守る竜神が祭られている九頭龍(くずりゅう)神社!九頭龍神社の御利益は、金運、商売繁盛、そして縁結びです。
年の初めにその年の干支にちなんだ神社を参拝する(干支詣(えともうで))ことで開運・幸運がつかめると言われています。
さらに九頭龍神社の龍のパワーをより高める方法が、箱根三社参り(九頭龍神社、箱根元宮、箱根神社)です。箱根を代表する3つの神社をお参りすることでご利益が強くなるのです。
箱根神社
実は箱根神社は名だたる武将が信仰したご利益満点の神社なのです!鎌倉に幕府をひらいた源頼朝(みなもとのよりとも)、そして徳川家康です。箱根神社の社殿を建てた事を記した棟札(むなふだ)に徳川家康の名前が記されています。源頼朝や徳川家康は、心願成就、勝負の神として箱根神社を崇めました。
箱根元宮(はこねもとつみや)
箱根三社参りのハイライトは箱根元宮(はこねもとつみや)です。箱根の山岳信仰の中心地として2400年前から続くパワースポットです。
SHOCK EYEさんが箱根元宮で日の出を待っている間に「自然と向き合う時って本当に無の時間というか、何も考えないで、で普段気づけないモノの美しさとか、目を向けられるようになる。神社ってそういうふうに作られている。ようは自然を神様として捉えて、手を合わせているっていう、その装置ですから、自然と向き合うっていうのは、神社参拝するそのものですよね。」とおっしゃっていました。
芦ノ湖にまつわる伝説
古来、芦ノ湖では湖の中に住んでいるとされた龍を信仰の対象としていました。しかしあるとき周辺の人々が湖を汚したことで起こった竜神が、恐ろしい病を流行らせたといいます。人々は龍神の怒りを鎮めるために神聖な象徴である鳥居を焼き、湖の中にいる龍神に鳥居の火影を捧げました。
この湖の中にいる龍神に鳥居の火影を捧げて怒りを鎮めたというこの伝説がもとになっているおまつりが、芦ノ湖で毎年夏に開かれる鳥居焼まつりで、今でも年に一度の神事として行われています。
関東屈指のパワースポットとは?
それは東京です。東京は江戸時代祈りのプロジェクトによって築かれた巨大なパワースポットシティーなのです!
日枝(ひえ)神社(東京都赤坂)
日枝神社の境内に鎮座するのは狛犬ではなく、神のお使いの猿で神猿(まさる)です。神猿(まさる)という語呂が「魔が去る」「優(まえさ)る」に通じることから、非常に縁起がいいとして尊ばれています。魔除けとされる神猿(まさる)の力に頼りパワースポット計画を立てた一族が徳川家です。
江戸時代に日枝神社の祭りで使われた獅子頭(ししがしら)の漆が剥がれた鼻の頭に文字が見えます。実はこれ、第三代将軍徳川家光公の手習い(字の練習をした紙)で作られているのです。当時は紙が貴重であったため、有効利用をして作られたようです。そのほか、日枝神社には徳川家康の朱印状など、徳川家にゆかりのある品々がたくさん残されています。徳川家は、日枝神社を江戸城の裏鬼門を守る神様として大切にしてきたためです。
鬼門・裏鬼門とは、魔物が侵入すると考えられた方角のことで、古くから邪鬼が出入りする不吉な方角として恐れられてきました。そこで江戸城を中心に、裏鬼門の方角に日枝神社を置き邪鬼を払ったと言います。
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徳川家が鬼門・裏鬼門の守り(鬼門守護)とした神社は他にも!
江戸城の裏鬼門エリア:日枝神社、増上寺(徳川家の菩提寺/勝運アップ)
鬼門エリア:神田神社(徳川家康が関ヶ原の戦いに臨む際、勝利祈願に訪れた/恋愛運・仕事運アップ)、浅草寺(幕府の祈願所として定められた寺)
これらは徳川家康が江戸に町をつくる際、計画的に配置したと言われ、このプロジェクトを天海に一任したと言われています。天海は天台宗の高僧で、徳川家康・秀忠・家光に仕え幕府の礎を築いたといわれる人物です。徳川家の祈祷所である東叡山寛永寺(とうえいざんかんえいじ)を創建した人物で、徳川家康に風水や鬼門のことをアドバイスしたのが天海です。皆さんご存じの七福神を広めたのの天海なのだそうです。世の中を平和に治めるため福神信仰を徳川家康に勧めたことがきっかけで、七福神が有名になったのだそう。この天海が江戸城を中心に鬼門・裏鬼門を意識した町づくりを計画したのです。
SHOCK EYEさんと徳川家の関係とは?
実はSHOCK EYE(本名:植村家浩)さんは、徳川家康の祖父の代から仕える最古参の家臣、植村家の末裔です。家康から唯一家を名乗ることが許され家系でもあり、ご実家には甲冑もあるのだそうです!
そして尾上松也さん徳川家康の親戚なのだそうです。『一番遠い親戚さん』(日本テレビ系)の調査で徳川家康の30親等であることが判明したそうです。また、尾上松也さん曽祖父・公毅さんの妹・郷子から辿って行くと、8親等に渋沢栄一がいるのだそうです。
徳川家康と天海の鬼門守護は北関東まで!
江戸城の北東、つまり鬼門に位置するのが関東を代表する霊峰 筑波山神社(茨木県)です。なぜ、江戸上から遠く離れた場所に鬼門守護があるのでしょうか?その理由は、筑波山神社の御神体である筑波山にあります。3000年以上前から人々の信仰があった伝えられ、江戸時代には「西の富士 東の筑波」と称されました。境内には鬼門の守りに欠かせない神猿(まさる)の彫刻があり、しかも家康を祀る日光東照宮で有名な見ざる言わざるきかざるの三猿です。
SHOCK EYEさんが筑波山神社で最初に開運写真を撮った場所が、推定樹齢800年の紫峰杉(しほうすぎ)です。そして1つ目の峰 男体山(なんたいさん)に向かいます。男体山の山頂には、日本列島をつくり数々の神を生んだ夫婦(めおと)のひとりイザナギが祭られています。2つ目の峰 女体山(にょたいさん)に祀られているのがイザナギの妻イザナミです。筑波山は2つの峰で夫婦の神を祀る夫婦円満のパワースポットなのです。そして、社殿の裏に山のパワーを全身に感じられる場所があり、富士山まで見れます!
家康が未来への願いを込めた神社!
関東屈指の開運神社である日光東照宮には、徳川家康が願いを込めた巨大な祈りのプロジェクトがあります。日光東照宮は1617年徳川家康を神として祀るために建てられた神社です。
508もの彫刻があしらわれた陽明門が向いている方角に、徳川家康の最大の願いが込められていると言います。陽明門の真南には江戸城があり、江戸城からほぼ真北に日光東照宮が位置します。ここに徳川家康が自らを祀る場所として日光を選んだ秘密が隠されています。
江戸城を背にして真北の方向へ陽明門を見ると、夜その真上には一年中同じ場所で輝く北極星が現れます。北極星を中心に星々が規則正しく宇宙をめぐる、まさにここが宇宙の中心なのです。古来人々は北極星にすべてを司る最高神がいると考え天帝(てんてい)とよびました。徳川家康は江戸城からみた北極星の方角 日光を地震を祀らせ天帝と一体になることで、子孫 日本全土を守ろうと考えたと言います。
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