岩屋岩陰遺跡(いわやいわかげいせき)は縄文時代に造られた!世界が注目する歴史を覆すような大発見とは?

イギリスのストーンヘンジやエジプトのピラミッドなど世界中に多くの謎を残す巨大遺跡がありますが、巨大遺跡は日本にも存在します。その一つ岐阜県の山奥にある岩屋岩陰遺跡(いわやいわかげいせき)と、その周辺にある巨石群(金山巨石群)は5000年前の遺跡といわれています。この岩屋岩陰遺跡は世界的にも注目されていて、イギリスの公共放送BBCでは日本のストーンヘンジと紹介され、2023年にはフランスから調査団が視察に来ています。

山奥に眠る5000年前の巨大遺跡の歴史を覆すような謎をひも解いてみましょう。

岩屋岩陰遺跡は縄文時代に造られた

謎の巨大遺跡、岩屋岩陰遺跡(いわやいわかげいせき)は日本屈指の温泉街として有名な岐阜県下呂市(げろし)から、車で30分ほど離れた深い山の中にあります。20 年以上の調査で約5000年前の縄文時代に造られた巨大な石組みということがわかりました。この巨大な石組みの中で一番大きい石の高さは約10mもあります。一見自然にできた巨石の集まりのようですが、近年の研究で縄文人が運んだ可能性が高いことがわかりました。

岩屋岩陰遺跡の石は7000年前の火山の噴火でできた石で、その石が冷えて固まる過程でもともとその場所にあるならば、当時の磁場と同じ方向で冷えて固まります。しかし、今の状態を調べたところ磁気がバラバラの方向を持っているので、人為的に組まれたものと言われているのです。


縄文人は巨石をどのように運んだのか?

古墳時代は巨石を木製のそりで運んだ記録があるようですが、縄文時代にどのように巨石を運んでいたのがまだわかっていません。


縄文人は何のために巨石を運んだのか?

その謎の手がかりは、巨石の間にある洞窟のような空間にあります。洞窟のような空間で上を見上げると、石と石の隙間から小さな隙間があり、空が見えます。この隙間が重要なポイントなのです!

夏の太陽高度が一番高いとき(お昼頃)に、その隙間からスポットライト(一筋の光)が差し込みます。地面にさす光は、最初に5月30日に入り、日を追うごとにその光は大きくなっていき夏至の6月21日頃に最も大きくなります。そしてこの巨石の外側に人が彫ったと思われるくぼみがあり、このくぼみは5月30日、6月1日、そして6月21日頃に地面にさす光の大きさ(かたち)と一致しているのです。そのことから、この巨石はカレンダーの役割を果たしていたのではないかという説があるのです。

そもそも暦(こよみ)は7世紀頃に中国から日本に伝わったとされていますが、それよりも3600年前の縄文時代の人々によって暦が使われていた可能性があるのです。この説は学会で正式に認められた説ではありませんが、認められたなら歴史が覆る大発見です。

そしてこの巨石のすぐ隣にもう一つ、巨大遺跡があるのですが、こちらは冬至(12月22日頃)の60日前(10月23日頃)と60日後(2月20日頃)、すなわち冬の始まりと終わりを示す仕掛けが施されているのです。


なぜ縄文人は夏と冬の訪れを確認したのか?

それは、食料などになる動物や植物が、いつ何が獲(採)れるのかを把握するためです。例えば、暖かい季節は水辺で獲れる魚や貝、寒い季節は冬眠前で脂がのった動物といったように、計画的な食糧確保を行っていたと考えられるのです。

宗教学的には、昔は太陽が弱ると世の中の生き物が死んでしまうので太陽を元気づけなければいけない、太陽が一番元気があるときにそのエネルギーをもらおうと考えられていたようで、夏至と冬至に太陽へのおまつりが世界的によく行われているのです。食料の確保にも活用されたと思われますが、太陽への信仰もあったので巨石が組まれた可能性も考えられます。



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