伏見にある酒蔵の数は?
京都を代表する酒どころ伏見には、2020年6月19日現在23の酒蔵があります。
伏見の水は、軟水と硬水の間の中硬水で、酒の味をまろやかなものにしています。中硬水は酒が柔らかくゆっくり発酵していくから酒の味がまろやかになるのです。
これに対し硬度が高い水にはリンやカルシウムが多く含まれることから、硬水を使うとその影響で、はやくアルコールに代わっていくので辛口になります。また、辛口は甘口に比べ酸が多く、苦味、渋みやスパークリング感があると辛口に感じることもあります。
伏見の酒蔵の酒造りを支えるものとは?
伏見の酒蔵の酒造りを支えるものは良質な地下水といえるでしょう。なぜ伏見には豊富な地下水がわき続けているのでしょうか?
京都盆地で一番低いところが伏見です。まわりの山々に降った雨が地下水となって、伏見に集まってくるという土地柄だったのです。
京都伏見の酒を育んだのは、地形と盆地の地下に湛えられた上質な水だったのです!
伏見七名水とは?
伏水とも書かれていたほど、豊富で質の良い伏流水が湧いていました。古くはと岩井・白菊井・春日井・常盤井 ・苔清水・竹中清水・田中清水が伏見七つ井とよばれていました。
現在は、御香宮「御香水」・長建寺「閼迦水(あかすい)」・月桂冠大倉記念館「さかみづ」 鳥せい本店「白菊水(しらぎくすい)」・料亭清和荘「清和水」 藤森神社「不二の水」・城南宮「菊水若水」が伏見7名水として選ばれています。
伏見では、酒蔵巡りとともに、名水巡りもしてみたいですね!
伏見の酒造りの歴史とは?
古代朝鮮新羅より渡来し酒造りの技術をもたらしたのが、(京都の西一帯を支配していた)豪族秦氏と言われています。その氏神がまつられているのが、嵐山 松尾大社(まつのおたいしゃ)の起源といわれています。
松尾大社の御祭神 大山咋神(おおやまぐいのかみ)は、酒の神様としてもしられ酒造りに携わる人々の信仰をあつめました。神殿の裏側より流れ落ちる滝が、現在パワースポットとしても知られている霊亀(れいき)の滝です。天平5年(733年)に泉が湧き出たとき、「この泉の水で酒を醸すと、福が招来し家業繁も栄する」という神のお告げがあったと伝わります。現在でも「酒造りの際にこの水を入れると腐らず良い酒ができる」と全国の酒造家が持ち帰るのだそうです。
日本人は米を作ることを生業に何千年も暮らしてきました。稲には魂が宿り神が宿ります。その米で作る酒をいただくのは、神の力をいただくことで、ある意味神事とも言えます。そのため、古来京都では酒は嗜好品としてだけではなく、神に近づけるものととらえられ、暮らしの中に根付いていったのです。また平安時代には政(まつりごと)で酒が使用され、一年中必要でした。そこで平安時代には造酒司(みきのつかさ)という酒の醸造をつかさどる役所があったそうです。
その後、造酒司に務めてような人々が市中に出て、酒造りをはじめ室町時代初期には、洛中洛外に340軒の造り酒屋があったといわれています。町中に造り酒屋があふれていたのでしょうか?お酒の匂いで、いい気分になれそうですw
京都で秦氏といったら、加茂氏も気になります。下記リンク先で加茂氏について記載していますのでご参照ください。
京都・鴨川 をたどれば京都がわかる!?賀茂川の名前由来は?鴨川を分水して高瀬川をつくった人物と、京都の文化を守るためにつくられた川とは?
伏見はかつて港湾都市だった!?
伏見には昔、巨椋池(おぐらいけ)といわれる池がありました(現在はありません)。この池は規模からいえば池よりも湖と呼ぶ方がふさわしいくらい大きなものでした。この池は淀川と琵琶湖に繋がっており、伏見は交通の要所であり、港湾都市として賑わいました。伏見で造った酒も淀川や琵琶湖に船で運ばれたのでしょう。
また、豊臣秀吉が伏見桃山城を造り、町の人口がさらに増加しました。そのため、さらに伏見の酒が広まっていったのです。人口が増えれば酒の消費量も増える、日本人は昔からお酒が好きだったのですね。
燗の温度につけられた名前とは?
日本酒は、燗の温度で名前がついているってご存じでしたか?
5℃:雪冷え
10℃:花冷え
15℃:涼冷え
20℃:冷や(常温)
30℃:日向燗(ひなたかん)
35℃:人肌燗
40℃:ぬる燗
45℃:上燗
50℃:熱燗
55℃以上:飛び切り燗
日本って風流な民族ですね。
燗の温度で味わいが変わる!?
5℃から20℃では甘く感じ、そこから40℃までは米のうまみを感じ、それ以上だと辛く感じるのだそうです。温度で酒を好みの味を探すのも楽しそうですね!
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