比叡山延暦寺 東塔エリアにある消えない火、不滅の法灯は一度消えた!?そして、根本中堂は最澄の教え「照千一隅」と「忘己利他」を視覚化している!

平安時代の初めに伝教大師 最澄によって開かれた比叡山は、古くか鬼門封じの山(京の都を守るやま)として敬われ、さらには日本仏教の母なる山と言われています。現在比叡山延暦寺の広大な境内には、100ほどのお堂が点在し、そのどれにも深い歴史が刻まれています。そんな比叡山延暦寺は東塔、西塔、横川(よかわ)という3つのエリアに分かれています。

比叡山延暦寺全体については、下記リンクでご紹介しています。

比叡山延暦寺は、最澄が開いた聖なる山

今回は比叡山延暦寺の中心地である、東塔(とうとう)エリアについてひも解いていきます!

文殊楼(もんじゅろう)

長い階段を上りその入口にあるのが、文殊楼(もんじゅろう)で延暦寺の総門です。文殊楼は、ただくぐるだけの門ではありません。門であるのと同時に、一つのお堂でもあるのです。この文殊楼で修行のためのお堂として建てられ、文殊楼の上の層では、江戸時代までは修行が行われていました。修行の空間であった文殊楼の上の層には、現在も文殊菩薩(もんじゅぼさつ)が祀られています。文殊菩薩は智慧を司る仏様で、知恵を授けてくださる仏様です。現在では知識や知恵の象徴とされ、文殊菩薩を参拝することで「正しい判断力が備わる」と言われています。

ちなみに「三人寄れば文殊の知恵」ということわざの文殊とは、文殊菩薩のことです。意味は、凡人でも3人集まれば、文殊菩薩のような知恵がうまれ、物事を良い方向に考えられるという意味です。

文殊楼は、通るだけでご利益がありそうな門ですね。


根本中堂

名前の由来

比叡山延暦寺の文殊楼を抜けた階段の下に見えてくるのが、総本堂 根本中堂です。この場所は、最澄が最初のお堂を建てられたので、根本の場所ということから、根本中堂と名付けられたようです。本堂という言葉も、この根からきているいう説もあります。日本仏教の母なる山に建てられた、最初のお堂だからとても大切なのですね。

建物

比叡山延暦寺の根本中堂このは1200年以上前、788(延暦7)年に最澄がこの場所に建てた3つのお堂がもとになっています。最澄創建の三堂(経堂、薬師堂、文殊堂)は、3つ合わせて一乗止観院(いちじょうしかんいん)と呼ばれていました。それがのちに一つの大きなお堂となり、さらに廻廊が加えられ現在の形(980年/良源の大堂)となったのです。なお、現在のお堂は1642年に再建されたもので、お堂は国宝、廻廊は重要文化財に指定される貴重なものです。

現在、2016年から10年の歳月をかけて改修工事が行われています。


御本尊

比叡山延暦寺の根本中堂の中に祀られているのは、比叡山延暦寺の御本尊で薬師如来像です。最澄自らが霊木を彫って作ったとされる御本尊 薬師如来像は秘仏とされ、その前には御前立の仏様が祀られています。

根本中堂の不思議な特徴

この根本中堂には他の建物ではあまり見られないとされる不思議な特徴があります。

内陣(僧侶がお務めをするエリア)が中陣(参拝エリア)より3mほど低くなっており、その奥に御本尊(仏様)が祀られています。参拝者と仏様の高さが同じ位置になっているのです。ほかの寺院では、参拝者より高い位置に仏様が祀られていますよね。なぜなのでしょうか?


根本中堂は「照千一隅」と「忘己利他」を視覚化した建物!

ここに最澄の大切な教えが秘められているのです。それは、仏様が偉いのではなく、我々一人ひとりも同じ仏、仏になるになるための素質を持っている」ということをこの高さで表現しているのです。

参拝者の目の前には深い谷(内陣)があり、仏に近づくには厳しい修行が必要であることも教えてくれます。また、最澄が自らの考えを書いた天台法華宗年分縁起(国宝)が残されています。どのような僧侶を育てようとしたのかを記載した箇所に「照千一隅(一隅を照らす)」という文字があります。一隅とは、それぞれの僧が今いる場所のことで、自分自身が輝き世の中を照らすような存在になりなさいと説いたのです。さらに僧に必要な心構えを書いたのが、「忘己利他(もうこりた、己を忘れて、他を利する)」です。僧が一段低い場所で、一般の方を仏様の世界へと下から橋渡しをするような人材を育てるというのが、最澄の理想だったのです。この「忘己利他」を表現したのが、根本中堂の内陣と言われています。ちなみに、天台法華宗年分縁起は、古文書の研究者や比叡山延暦寺の僧侶でも、なかなかお目にかかれないほど、とても貴重なものです。

根本中堂を訪れた際は、必ず見ておきたいポイントです!


比叡山延暦寺の消えてしまったことのある消えない火!?不滅の法灯とは?

最澄の時代から続く重要なもの、それが御本尊の前に並んだ不滅の法灯と呼ばれる3つの灯籠です。最澄が根本中堂の前身一乗止観院を建立した際、最澄自ら御本尊宝前に灯明をかかげて以来、一度も消えることなく輝き続けているもので、1200年間一度も途絶えたことがない灯(ともしび)です。菜種油を燃料にして灯芯が浸り、火が点るという原始的な構造の灯籠内で現在も燃え続けています。決してその炎が消えることのないよう途絶えることがないよう、毎日僧侶によって菜種油が注がれています。菜種油を足す当番は決まっておらず、比叡山の僧侶たちは皆、菜種油が絶えないように気をつけているそうです。油を断つなというこの、心構えまさに油断をしないことで、「油断」の語源になったと言われています。

ちなみに、1543(天文12)年山形 立石寺の再建の際、立石寺からの要請で分灯し、その後1571(元亀2)年9月の織田信長の比叡山焼き討ちの際に今度は比叡山の法灯が消えたため、立石寺から再分灯してもらい復活させています。

立石寺の法灯の物語と比叡山の法灯の復活については下記リンクでひも解いています。

比叡山延暦寺と最澄の歴史を簡単まとめ!最澄は仏教界の革命児!最澄の死後、仏教の総合大学となったものの、平安時代の比叡山には武力と財力をもつ悪僧が増殖した!!

不滅の法灯は、最澄の「一隅を照らす」という教えです。すなわち、「ひとりひとりが力をつくし、不滅の法灯のようにその場を照らせば、世界を照らす大きな明かりとなる」という教えなのです。一隅を照らす人こそが国の宝ということのようです。


開運スポット

比叡山延暦寺の東塔エリアの開運スポットは、比叡山で一番大きな鐘のある「開運の鐘」です。ぜひ心の中でお願いごとをしてから、鐘を突いてください!

また、「開運の鐘」のあたりからは、琵琶湖が臨めます。


関連リンク

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