五山の送り火(ござんのおくりび)の始まりと意味とは?

毎年8月16日 午後8時 松明(たいまつ)に火がともされると、京都の山々には巨大な火の文字が浮かび上がります。町を囲むように炎で描き出される文字や図形、毎年家々に帰ってきた先祖の霊を再びあの世へと送りだすために行われます。人々は、暗闇に浮かび上がる炎に手を合わせ、亡き家族や友人と心を通わせるのです。

今回は五山の送り火について、ひも解いていきましょう。

五山の送り火(ござんのおくりび)の始まりは?

五山の送り火の起源には様々な説があり、明らかではありません。資料が少ないためはっきりわかっていませんが、室町時代15世紀の終わり頃に室町幕府8代将軍 足利義政(あしかがよしまさ)が始めたのではないかという説があります。

足利義政の息子である第9代将軍 足利義尚(あしかがよしひさ)が、24歳という若さで亡くなってしまいました。足利義政は父として息子の菩提(ぼだい)を弔(とむら)ってやりたいという思いで、銀閣寺の裏山に「大」の文字を照らして亡き義尚の霊を弔ったとのが始まりというものです。義尚が亡くなった翌年に足利義政も亡くなり、戦国時代ということもあり行事を続けようと言いう人がおらず、1年しか火が灯らなかったのではないかと考えられています。そして、しばらく空白があり、次に記録に出てくるのが1603(慶長8)年の江戸時代初期に公家(くげ)の日記の中に旧暦の7月16日に送り火を見たという記載があり、これは「大文字の送り火」だったと思われます。それから毎年送り火に関する記述が出てくるので、年中行事として行われたのはこの頃からではないだろうかと考えられています。

また、朝廷や幕府が行ったのであれば、もっとたくさんの資料に残っているはずですが、公家の日記に数行記載されるのみであるため、この行事を再考して続けようとしたのは、一般庶民やそれほど有名ではない一般のお寺関係の人ではないかと考えられます。


五山の送り火の意味とは?

山々に囲まれた盆地に広がる京都の町に、およそ1200年前に都が移され平安京がつくられました。当時の人々は自分たちが暮らす地域をこの世(落内)とみなし、山の向こう(洛外)にあの世があると考えました。お盆に迎えた先祖の霊があの世に迷わず帰るために、その道しるべとして山々に灯すのが五山の送り火です。この行事は、室町時代以降行われるようになり、江戸時代初期には京都の夏の行事、すなわち京都のお盆の行事として定着しました。

送り火の文字について

最も有名なのが「大文字(だいもんじ)」で、「大」という字は、人の姿を現すものとも言われます。2つの送り火が同時に点火される「妙法(みょうほう)」は、お経の文字をあらわします(詳しい意味は下記で説明します)。あの世に精霊を送り届ける船をあらわすとつたわる「舟形(ふながた)」、西側の「大」の字「左大文字(ひだりだいもんじ)」、そしてこの世とあの世との結界をあらわす「鳥居形(とりいがた)」が五山の送り火のときに、炎で描き出されます。


京都のお盆の行事の概要

ご先祖様(オショライさん)があの世から帰ってこられて、しばらく懐かしい家で団らんをして、あの世に戻っていくというのが京都のお盆です。具体的には、六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)で水塔婆(みずとうば)を納め、迎え鐘でご先祖様をお迎えして、ご先祖様の霊を五山の送り火で送るのです。

ご先祖様をお迎えする六道珍皇寺については、下記リンクで詳しく説明しています。

六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)は怖い!?鐘で霊をあの世から呼び戻す迎え鐘(むかえがね)とは?

なぜ五山なのか?

資料によると昔は送り火は10近くあったが、いつから・いつまで、どの山に灯ったかわかってしないものの、結果として五山の送り火が残ったと考えられます(なぜ五山なのかというより、もともと多くの山で行われていたもののうち、現在も残っているのが五山だけ)。


「妙法」の準備から当日までの流れ

京都市左京区松ヶ崎(まつがさき)地区かつては100件の農家が、朝廷のために米作りを担ったと伝わります。町の西側にある万灯籠山(まんどうろうやま)、炎で「妙」の文字が描き出されます。そして町の東側大黒天山(だいこくてんやま)には「法」の文字が描かれます。2つの山は町の人にとって神聖な場所で、一般の人は上ることができません。地区の信仰の中心となっている日蓮宗涌泉寺(にちれんしゅうゆうせんじ)(京都市左京区)の本堂には「何妙法蓮華経」というお題目と、それを守るように仏像が祀られています。


「妙法」の意味とは?

およそ700年前、この地で教えに感銘を受けた町人全員が、日蓮宗に改宗したと伝わります。妙法 「妙法」の送り火は、「妙法蓮華経」の頭の2文字を描いたもので、「妙」は唯一無にという意味があり、「妙法」で他にないとても大切な教えという意味があります。「妙法」の送り火は、この地域に暮らす人々の信仰の証を示す炎です。


どのような薪が使用されるのか?

「妙法」の送り火に使うのは赤松で、(倒木ではなく)生きた赤松である必要があります。生きた赤松に含まれる松やにが、高温の(赤く見えて非常に)美しい炎を生み出すからです。そして送り火は点火すると同時に、文字が浮かび上がらなければなりませんので、すばやく火が付くよう、薪は細く仕上げます。送り火に適した赤松の幹の太さは直径30cmで、送り火に適する赤松が選び抜かれ準備されます。

薪の保管

そして7月下旬に送り火の燃料となる大量の赤松が、松ヶ崎に届きます。松ヶ崎では、各家ごとに担当する火床(ひどこ)が割り当てられているので、地区に届いた薪を取りにきて、自宅での保存、山へ薪の運搬や、当日の火の点火は、それぞれの家に任されています。各家に薪を持ち帰ると、よく燃えるよう組んで、前日まで乾燥させます。

前日から当日にかけて

五山の送り火の前日8月15日に、松ヶ崎の人々は早朝から薪を手に山に登ります。送り火当日の昼までに各家に割り当てられた火床(ひどこ)に薪を組んでいきます。家族で力を合わせて準備する送り火です。8月16日の送り火当日午後8時に東山に火が灯され、夜の町に「大文字」が浮かび上がります。その5分後が「妙法」の点火です。「点火!」という掛け声がかかると山に「妙法」の文字が浮かび上がります。あの世に帰る先祖の霊が道しるべとする灯(ともしび)です。手を合わせる人々、先祖の霊の無事を祈ります。


「鳥居形」の点火

「鳥居形」は点火の仕方に特徴があります。点火台として丸い皿状のものが山に数か所設けられ、オリンピックの聖火のように、ここで松明に火をつけ走って鳥居の形に移動させるため、下から見ていると火が点々と走るように動いており、しばらくすると鳥居の形になります。そのため「走る送り火」と呼ばれます。


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