清水寺の七不思議とは?清水寺の狛犬はやかましい!?清水の舞台の謎とは?恋愛成就の首振り地蔵とは?

京都の清水寺といえば、有名な観光地の一つですね。多くの方が参拝したことがあるかと思います。じつは、清水寺には、七不思議があるのを御存じでしたか?とはいえ26個はあるとされる七不思議です。そんな清水寺にまつわる七不思議をひも解いていきましょう。

清水寺の七不思議:仁王門前の狛犬

通常の狛犬は、口を開いた阿形(あぎょう)と、口を閉じた吽形(うんぎょう)の「阿吽(あうん)」になっていますが、清水寺の狛犬は2体とも口を開けています。どうやら、狛犬は阿吽でなければならないという決まりはないようです。

悉曇文字 (しったんもじ)の、初めの「あ」と、終わりの「うん」で、「はじまり」と「おわり」で、「阿」は宇宙や万物の始まり、「吽」は宇宙や万物の終わりという意味で、「阿吽」で完結するという意味のようです。

しかしなぜ、清水寺の狛犬は2体とも口を開けているのでしょうか?実は清水寺の狛犬は、仏教の教えを世の中に大声で伝えるという目的のため、2体とも口を開けているのです。次回参拝の際は、狛犬さんにのど飴お供えしたくなります!



清水寺の七不思議:仁王門のカンカン貫(ぬき)

仁王門右側の端に、くり抜いたような大きなくぼみがあり、これが表側と、門をくぐり抜けた裏側にあります。これは片方に耳をあて、もう片方を誰かが叩くと「カンカン」と透き通った音が聞こえてきます。なぜこれが作られたのか、なぜこんな澄んだ音色が聞こえるのかは謎だそうです。中と外で何かの合図として使われたのでしょうか?


清水寺の七不思議:六本柱の鐘楼

仁王門をくぐった左手に桃山様式の美しい鐘楼が見えてきます。鐘楼は通常4本の丸柱で支えるのですが、ここは6本柱になっています。なぜでしょうか?

理由は単純で、この梵鐘が通常よりも大きく重たいため、それを支えるのに柱を6本に増やしたのだそうです。そして「四方転び」という、柱を内側に向けて斜めに建て、大きな鐘をしっかり支えています。単純な理由ですが、鐘楼としては珍しいので見ておきたいですね。


清水寺の七不思議:三重の塔の鬼瓦

日本最大級を誇る清水寺の三重塔。塔の四隅には通常「鬼瓦」が設置されますが、なぜか東南方向の瓦だけ「龍」が飾られています。なぜでしょうか?

これは鬼瓦は厄払いの意味を持ちますが、龍は水神であることから火除けの意味があります。京都を全体的にみると、京都で一番標高の高い西北の愛宕山には、火伏の神が鎮座し、都を火災から守っています(今でも京都のお料理屋さんは、愛宕神社に代表者がお参りをし、お札を授かっているお店があります)。しかし正反対の東南には守り神がいません。そこで最大級でもある三重塔の東南角に龍を配し、火除けとしたそうです。


清水寺の七不思議:八方睨みの虎

清水寺西門の石段を下がったところに石灯籠があります。これは江戸時代後期に活躍した虎を得意とした絵師「岸駒(がんく)」によって造られたもので、虎が彫られており、どこから見ても睨みつけられたように虎と目が合う、いわゆる「八方睨みの虎」です。この虎には夜な夜な灯籠から抜け出し、池の水を飲みに行くという言い伝えが残されています。動物好きの私は、ナイトサファリという言葉が頭によぎってしまいます。


清水寺の七不思議:仏足跡

朝倉堂の前には一尺七寸(約50cm)という、大きな足型が刻まれた石があります。足形は弁慶のものという説や、平家の武将・平景清(たいらのかげきよ)のものという説もあります。誰の足跡なのでしょうか?

じつは、こちらはお釈迦様の両足をかたどったもので、いわゆる仏足石で、拝めばどんな大罪や穢れも消滅すると言われています。また、足形をなでた手で足腰の痛い箇所をさすと治るという言い伝えもあります。


清水寺の七不思議:清水寺の首振り地蔵

清水寺の仁王門外の左側にある善光寺に鎮座する、首が360度まわる首振り地蔵があります。一回転させてからお願いすると願い事がかなうと言われ、回らない人は体の調子が悪いといわれています。また、「自分の好きな人がいる方向に首を向けてお願いすると、恋愛が成就する」恋愛成就のご利益もあるとされ、地主神社とあわせ、人気のパワースポットとなっています!


清水寺の七不思議:馬駐(うまとどめ)の金具

参拝者が乗ってきた馬をつないでおく馬駐(うまとどめ)が仁王門のすぐ左隣にあります。通常横向きに設置されている金具ですが、1箇所だけ下向けに設置されています。この理由は未だにわかっていません。ということは、単純に間違えたのでは?と思ってしまいますが、直さなかったからには何か理由があるのでしょうか?なぞです。


清水寺の七不思議:景清(かげきよ)爪彫りの観音

随求堂手前(胎内めぐりができる随求堂の前)にある(ロボットの顔のような)石灯籠の火袋(ひぶくろ)という火を灯す部分の内側に納めれた線彫りの小さな観音像は、源平合戦の折、平景清が清水寺に潜伏していた時に(牢の谷の獄に入れられている間という説もあります)、爪で石の上に観音様を彫り奉納したと伝えられています。



清水寺の七不思議:弁慶の指跡

清水寺の本堂裏側の貫の木目に沿って深さ2センチぐらいの溝がついおり、これは、弁慶の指跡と呼ばれているそうです。しかし、実はこれ昔お百度やお千度の堂々めぐりをしたときの、数取り札の摺り跡です。

弁慶といえば…

「弁慶の鉄の錫杖(しゃくじょう)」と下駄というのもあります。
本堂入口左手にある大錫杖は長さ2.6メートル、重さ96キログラムで、小錫杖は長さ1.76メートル、重さ17キログラムあり、下駄は一足12 キログラムもあります。音羽の滝で修業した行者が満願成就のお礼に納めたといわれているそうです。しかし、こんな大きな錫杖や下駄は、普通の人は使えないので、弁慶のものということになったそうです。


清水寺の七不思議:清水の舞台

樹齢400年のケヤキの大木を使って作られ、しかも釘を使わずに組み立てられた大舞台です。一度組んだら決して外れず、この手法は「地獄組み」と言われるそうです。舞台部分は雨ざらしになっているので、水はけをよくするためにゆるい傾斜がつけられています。しかし、この有名な清水の舞台の造られた目的は、

説①山の中腹にご本尊様が安置されているため、お詣りのために順番待ちをする場所だった
説②清水寺の南西一帯は鳥辺野と呼ばれる京都三大墓地で、当時は土葬や風葬が多く、墓地一帯の澱んだ空気を避けるために、13mの高さがある舞台からご遺体を投げ捨てた

等と言われているようですが、実際はよくわかっていないようです。


また、観音様に願をかけて結願の日に飛び下りて怪我がなければ所願成就、死んだら成仏できる(極楽浄土が待っている)という信仰があったそうです。飛び下りの起源は平安時代に遡るようで、補陀洛浄土を欣求して、舞台から投身した観音行者が少なくなかったそうです。江戸中期の歌舞伎狂言「清玄・桜姫」で、前途を悲観した桜姫が清水の舞台から、傘を開いて飛び下りたのをみた大衆はショックを受けたそうです。成就院には元禄以降、毎年数人が飛び下りたという(生存率50パーセント未満)という記録が残っているそうですが、明治五年になって、ようやく飛び下りが禁止されたそうです。

知っているようで、知らないことが多い清水寺。お参りしたことがある方は多いと思いますが、今度は不思議を探しに清水寺にお参りしてはいかがでしょうか。



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