平安時代の初めに伝教大師 最澄によって開かれた比叡山は、古くから鬼門封じの山(京の都を守るやま)として敬われ、さらには日本仏教の母なる山と言われています。現在比叡山延暦寺の広大な境内には、100ほどのお堂が点在し、そのどれにも深い歴史が刻まれています。そんな比叡山延暦寺は東塔、西塔、横川(よかわ)という3つのエリアに分かれています。
比叡山延暦寺全体については、下記リンクでご紹介しています。
今回は比叡山延暦寺の西塔(さいとう)エリアについてひも解いていきます
比叡山延暦寺の千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)
比叡山延暦寺の西塔エリアは、うっそうとした深い森の中にあります。こちらは、様々な修行が行われる場所です。比叡山の修行でよく知られるのが、千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)ではないでしょうか。
死を覚悟した白装束に身を包み神仏に祈りを捧げながら、比叡山の峰や谷を一日30kmから60kmの距離を歩き続け、7年の歳月をかけて地球一周分の距離を歩き続ける荒行中の荒行です。
比叡山には千日回峰行に、勝るとも劣らない修行が他にもまだまだあるのだとか・・・
比叡山延暦寺の十二年籠山行(じゅうにねんろうざんぎょう)
比叡山延暦寺の中でも聖域とされる場所、浄土院が最澄が今もここにおられると言われる場所です。浄土院の奥の小さな御廟(ごびょう)には、最澄生きておられると言われています。
最澄は比叡山に籠り12年間一度も山から下りず、ひたすらお経を読み続けました。この最澄が始めた12年間山に籠って修行する「十二年籠山行(じゅうにねんろうざんぎょう)」という12年間比叡山延暦寺の浄土院に籠り、外の人とも会わず1日も休みなく毎日同じ修行をただひたすら繰り返す修行は現代まで続きます。現在でも、今なお生きている最澄に仕えるため侍真(じしん)と呼ばれる僧侶が1人休むことなくお仕えしているます。
侍真は、世間との交わりを断って比叡山に籠って自分を鍛え見つめなおす、ほぼ浄土院から出ることはないそうです。これは修行なので選ばれたからするのではなく、自らまず修行をしたいと手を上げないと十二年籠山行はできないそうです。
想像を絶する世界です…どちらも比叡山を代表する仏に近づくための厳しい修行ですね。
比叡山延暦寺の根幹の修行 四種三昧行(ししゅざんまいぎょう)
比叡山延暦寺の根幹の修行は、「にない堂」で行われる四種三昧行(ししゅざんまいぎょう)です。「にない堂」は僧が修行をするために建てられたもので、常行堂と法華堂とよばれるまったく同じ形の2つのお堂が渡り廊下でつながっています。修行のためのお堂ですので非公開です。
四種三昧行(ししゅざんまいぎょう)は、以下の4つの基本的な修行からなります。
・常坐三昧
・常行三昧
・半行半坐三昧
・非行非坐三昧
この中の常行三昧(じょうぎょうざんまい)を行うためのお堂が、常行堂です。常行三昧とは、お堂の中をひたすら祈り歩き続ける修行で、たった一人で真ん中の阿弥陀様の周りを90日間ぐるぐると念仏(南無阿弥陀仏)を唱えながら歩き続けるのだそうです。眠ることも横になって休むことも許されず、ふらふらになっても竹の手すりを頼りに歩き続けなければなりません。とはいえ、食事のときはさすがに座るそうです。
基本的な修行とはいえ、一般の人にはとてもできるようなものではありませんね。修行中とはいえ、食事の時は座るというのが立った状態で食事をすることは、どれだけ行儀が悪いと考えられてきたかを物語っているような気がします。
比叡山延暦寺 にない堂の名前の由来とは?
常行堂と法華堂の2つ合わせて「にない堂」と呼ばれるのは、弁慶が渡り廊下でこの二つのお堂を担いだという伝説から「にない堂」とよばれるようになったそうです。
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