国立西洋美術館(通称:西美)の来館者は年間およそ100万人で、1959年の開館以来日本人に西洋美術の魅力を届けてきました。モネ、ルノワールやロダンといった有名な美術品ではなく、世界遺産となったのは、近代建築の父といわれるル・コルビュジエが設計した建物です。
国立西洋美術館が世界遺産となった理由については、下記リンク先でひも解いています。
2016年に「ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献」という名称で、日本における20世紀の建築物として初めて世界文化遺産登録されました。「探検!世界遺産 国立西洋美術館~ル・コルビュジエの夢~」というTVをもとに、その素晴らしさをひも解いていきましょう!
ル・コルビュジエが世界遺産 国立西洋美術館のエントランス部分に残した画期的なものとは?
世界遺産 国立西洋美術館の玄関に入る前に、ル・コルビュジエ建築を代表するデザインに出会えます。それが、世界遺産 国立西洋美術館のエントランス部分のピロティ(杭や柱といった意味)と呼ばれる空間です。
ヨーロッパの伝統的な建物といえば石造りで、外側と内側が石造りの大きな壁で区切られています。鉄筋コンクリートが19世紀末に誕生したことで、柱だけで建物を支えることが可能になり、いち早くその可能性に目を付けたのが、ル・コルビュジエです。
外から建物の中に入る前のクッションとなるように、円柱で空間を作ったピロティは、ル・コルビュジエが生み出した画期的なアイデアで、壁のない人を迎え入れる解放感溢れる空間を作り出したのです。
ヨーロッパの古い町並みは壁が続いて、歩いていると圧迫感を感じますので、人々をその圧迫感から解放したル・コルビュジエのアイデアは素晴らしいですね。
ル・コルビュジエが世界遺産 国立西洋美術館に残した、大きな三角屋根の謎とは?
世界遺産 国立西洋美術館 1階中央の19世紀ホールには、三角形の天窓から自然の光りが降り注ぐ吹き抜けの空間があり、その上には三角屋根が乗っています。この三角屋根には意味があります。
ル・コルビュジエは、1955年秋に国立西洋美術館の建設予定地の見学に日本を訪れていました。ル・コルビュジエは、浮世絵の大ファンで、飛行機から見た富士山のスケッチも残しています。ル・コルビュジエは、この三角形で富士山を表したかったのです。日本から帰国後に描いた国立西洋美術館の設計図の横には、雲から顔を出す富士山の絵が描かれています。ル・コルビュジエは、そのくらい富士山から強い影響を受けたのです。
海外の有名な浮世絵ファンの一人はモネですよね。国立西洋美術館にあるモネの作品に関する謎は、下記リンク先でひも解いています!
国立西洋美術館の松方コレクションのモネの睡蓮を奇跡的に入手できたのは、ロダンの夢を引き継いだある日本人のおかげだった!
ル・コルビュジエが世界遺産 国立西洋美術館に残したこだわりとは?
ル・コルビュジエの日本へのこだわりは柱にもあります。ル・コルビュジエは、奈良と京都も訪れ、多くの柱や木目、梁などにも注目したメモも残っています。国立西洋美術館の柱に、それが表れています。
国立西洋美術館の柱のコンクリートを流し込む木の型枠は、日本の熟練の家具職人が特別に制作したもので、桶のように繊細に作られました。その木枠から生まれた柱の表面には、木目模様が残っており、現在でも国立西洋美術館のコンクリートの柱に木目が確認できます。
世界遺産 国立西洋美術館 1階中央の19世紀ホールは、ル・コルビュジエの日本への思いがこもった空間となっているのです。
ル・コルビュジエが世界遺産 国立西洋美術館に残した低い天井と高い天井の謎とは?
国立西洋美術館の1階からスロープの昇ってくると、低い天井があり、これはル・コルビュジエが理想とした男性の身長183cmの人が軽く手を挙げたときに届く高さになっています。これは、183cmの人のおヘソの位置は113cmで、これを2倍にした226cmとなっています。
そして高い天井は、その2倍452cmあり、非常に解放感があります。
低い天井では作品に集中できるように、高い天井では解放感と豊かな空間体験を楽しむことができるようになっています。
国立西洋美術館の1階では日本への思いがあるれていましたが、2階は183cmという身長をベースに天井の高さを考えており、ル・コルビュジエは国立西洋美術館が世界に名の知れた美術館(建築)となることを見越していたようにも思えてしまいます。
世界遺産 国立西洋美術館の展示室に突然現れる階段の謎とは?
世界遺産 国立西洋美術館の2階の展示室に、ぽつんと現れる階段は何でしょうか?階段の先は障子のような感じのすりガラスで囲まれた空間がありますが、関係者以外立ち入り禁止となっていおり、非常に気になります!
実はこの国立西洋美術館の2階の階段を上がると、照明ギャラリーとなっており、蛍光灯がズラッとならんでいます。現在はカーテンがかかっていますが、かつては太陽の明りを取り入れるための天窓があり、照明ギャラリーのすりガラスを通り抜け、展示室の作品に降り注ぐという設計でした。時間や天候とともに、うつろう自然の光…ル・コルビュジエは国立西洋美術館を光の美術館にしたかったのです。
また、ル・コルビュジエは国立西洋美術館の照明ギャラリーには、スポットライトを作り出す投光器(とうこうき)も用意されており。自然の光と人口の照明を組み合わせれば、もっと多彩な光の世界が生まれると考えていました。国立西洋美術館では、例えば1962年のピカソ・ゲルニカ展で、部屋の明かりを暗めに設定し、作品にスポットを当てドラマチックに演出しました。ル・コルビュジエは国立西洋美術館を、舞台を作るような感覚で作品を演出できる空間としたのです。
世界遺産 国立西洋美術館の行き止まりのない展示室の謎とは?
ル・コルビュジエは国立西洋美術館で、展示品の増加に合わせて(建物の横に)増床できる無限合点美術館の構造を実現しました。そのため国立西洋美術館の館内は、らせん状回廊が続き行き止まりがない展示室となっているのです。なお、国立西洋美術館は、無限合点美術館の構造を持っていますが、増床して展示品を増やすという工事は実施していません。
世界遺産 国立西洋美術館の屋上とは?
国立西洋美術館の屋上は現在は非公開ですが、開館当初は一般の人も見学できました。天井に上がると、軽井沢など別荘地にある教会のようにも見える富士山を表した三角屋根が見えます。
美術館は美術品を楽しむ場所ですが、光と美術品で演出した空間を楽しむために、世界遺産 国立西洋美術館に足を運んでみるのもいいですね。
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