祇園祭の山鉾の懸装品(けそうひん)の一つに、メトロポリタン美術館の元研究者が「この絨毯はとても特別なものだと思います。祇園祭以外、世界中のどこにもこんな絨毯はみつけられません。」と言う、世界の研究者をも魅了する謎の絨毯があります。今回は、この謎の絨毯についてひも解いていきましょう!
祇園祭の山鉾の世界が注目する謎の絨毯とは、どんな絨毯?
この謎の絨毯は、昔から祇園祭の山鉾巡行の先頭を務める山鉾 長刀鉾(なぎなたぼこ)の懸装品です、梅樹がデザインされたものと、十華の図があります。
梅樹がデザインされた絨毯の中心には、梅樹が描かれ東洋の印象を与え、周りには不思議な幾何学模様があり、この幾何学模様が東洋的な印象を一変する不思議なデザインです。梅の絵柄から、中国の文化圏で作られたのではないかと推定されていまが、中国にも世界を見渡しても、これに似た絨毯は見当たりません。
そして最も不思議なのがその手触りです。固くしっかりしてコシがある毛の(触ると痛いくて粗い)絨毯は他にはない、他の絨毯の毛は、もっと柔らかく、もっと毛が短いため、この長刀鉾の絨毯は、ほかのどんなものとも違うものとなっているのです。その原因は、長刀鉾の絨毯に使用されている動物の毛のようです。
祇園祭の長刀鉾の絨毯に使用されている動物の毛から仮説を立てみましょう!
祇園祭の長刀鉾の絨毯に使用されているのは、どのような動物の毛なのでしょうか?
祇園祭の山鉾の一つ長刀鉾の絨毯に使用されている動物の毛が、科学分析されました。
科学者は触り心地から、ラクダやヤクに似ているということでしたが、光学顕微鏡で羊やヤクとは、かなり表面の形が異なり、ラクダとは毛の中心の毛髄の部分の形が類似しているものの表面の凹凸の形が異なり、ラクダとは断定できない状態となりました。祇園祭の長刀鉾の絨毯の毛は、劣化が進んでおり、光学顕微鏡で分析するのはここまでが限界となりました。
そのため、DNA分析を行なったところ、2種類の動物がヒットしました。一つ目は牛で、分布範囲は広くどこで祇園祭の長刀鉾の絨毯が作られた特定するのは無理です。もう一つヒットした動物が、希少動物のチベットカモシカ(標高5000m近い高山地帯にいる動物で、チベットや中国北西部に生息)です。サンプルが微量で断定することはできませんが、チベットカモシカなら中国北西部の高山地帯の周辺で織られた可能性があると言えます。
つぎは、祇園祭の長刀鉾の絨毯の色から、仮説を立ててみましょう!
祇園祭の長刀鉾の絨毯の色から立てた仮説とは!?
祇園祭の山鉾 長刀鉾の絨毯の色の特徴は、くすんだ暗い色使いです。
染色家 吉岡幸雄さんの話によると、昔から絨毯は赤など華やかな色が好まれきたそうです。それにもかかわらず祇園祭の山鉾 長刀鉾の絨毯には、赤が使用されていません。赤は染色に高度な技術が必要で、染料は高価で豊かな地域でしか手に入れられないものでしたので、祇園祭の山鉾 長刀鉾の絨毯の故郷の人たちは、赤の染め方を知らなかった、あるいはそれが伝播していない遊牧系で他民族との交渉の少ない民族だったのではないかということです。
よって、祇園祭の山鉾 長刀鉾の絨毯の色の特徴からは、砂漠であまり植物が豊でない場所で、祇園祭の山鉾 長刀鉾の絨毯がつくらえたのではないかと仮説を立てます。この仮説をもとに、中国文化圏とその周辺で砂漠で植物があまり生えない地域を探すと、ゴビ砂漠とタクラマカン砂漠の可能性が浮かびあがってきます。
つぎは、祇園祭の長刀鉾の絨毯の模様から、仮説を立てていきましょう!
祇園祭の長刀鉾の絨毯の模様から立てた仮説とは!?
メトロポリタン美術館 元アジア美術部長 ジェームズ・ワットさんは、祇園祭の山鉾 長刀鉾の絨毯の模様に注目しています。祇園祭の山鉾 長刀鉾の絨毯の模様は、13世紀に出現するモンゴル帝国の時代につくられたのではないかと推測されます。祇園祭の山鉾 長刀鉾の絨毯の中心描かれた梅の木や花は、12世紀から14世紀初頭の中国における芸術作品の代表的なモチーフです。そして周りにある模様は、アラビアの最古の書体と言われるクーフィー体です。クーフィー体建築や絨毯、陶器などの模様に古くから使われてきました。祇園祭の山鉾 長刀鉾の絨毯の周囲を飾るのは、アラビアのクーフィー体からきたものでした。
そもそも中国には絨毯を作る文化はありませんでした。一方、イスラムは絨毯の中心地です。そこに2つの文化圏を征服する大帝国、モンゴル帝国が出現しました。イスラムに人と文化が流れ込み、この絨毯が生まれたと考えられます。
ジェームズ・ワットさんは、「祇園祭の山鉾 長刀鉾の絨毯は劇的な物語を伝えています。歴史上の特別な時代を見事に物がっています。異なる文化を融合したモンゴル帝国の時代です。モンゴル帝国は破壊もしましたが、同じだけ文化の交流も促進させたのです。」と言います。
私としては、美術館(しかも、あの有名なメトロポリタン美術館)で絨毯が研究され、絨毯研究の専門家が日本や米国にいるということに驚きまし。しかも祇園祭の山鉾の懸装品は、メトロポリタン美術館などで展示させて欲しいと依頼が来るほとの品だってご存じでしたか?そのような素晴らしい美術品が近くで観れる祇園祭りの山鉾巡行って、素晴らしい!豪商さんたちに感謝するしかありません!!
おっと、ここまで祇園祭の山鉾 長刀鉾の絨毯の毛、色そして模様から仮説を立てたところで、イギリスから新たな情報が届きました!
祇園祭の長刀鉾の絨毯とそっくりな絨毯が新たに発見された!?
世界60か国に読者を持つ絨毯専門誌の編集長ベン・エヴァンスさんからの情報です。
他に存在しないと考えられていた祇園祭の山鉾 長刀鉾の絨毯とそっくりな絨毯が発見されたというので、特集記事を組んだというのです!祇園祭の山鉾 長刀鉾の絨毯とそっくりな絨毯は、チベットで見つかりました。放射性炭素で作られた年代が測定され、結果は13世紀末から15世紀末の間ということでした。祇園祭の山鉾 長刀鉾の絨毯とチベットで発見された絨毯の写真を比べると、祇園祭の山鉾 長刀鉾の絨毯とよく似ていることがわかります。中央の模様だけでなく、縁飾の細かい形まで一致しています。
イスラム教徒が多く住み、そしてチベットに近い中国北西部で織られたのではないかというのがエヴァンスさんの推理とのことです。
この世に絨毯専門誌が存在し、世界60か国に読者がいることにビックリです。絨毯は実用品だけでなく、美術品としての価値も高いことがわかるかと思います。
祇園祭の山鉾 長刀鉾の絨毯に世界60か国に読者関する仮説を重ねると見えてくるものとは!?
祇園祭の山鉾 長刀鉾の絨毯の毛、色、模様、そして類似した絨毯の発見からの推理を重ねると一つの仮説が成立します。
「モンゴル帝国が出現し、荒涼とした大地で中国とイスラムの2つの文化と民族が出会った。そして新たな人々の営みが始まり辺境の地に根差した独自の絨毯が生まれた。しかしモンゴル帝国が 滅びるともにその担い手たちも消え去ってしまった」というものです。
しかし、真実は誰にもわかりません。そんなところが、歴史の面白いところなのかもしれませんね!
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