祇園祭の山鉾を懸装品(けそうひん)は、数百年前にブリュッセルで製作され、徳川家にもたらされましたことまでわかりました。今回は、徳川家はどのようなルートでブリュッセルで製作されたタペストリーを入手したのかについて、ひも解いていきましょう。
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祇園祭の山鉾を懸装品のタペストリーは、どのようなルートで日本に辿り着いたのか?
祇園祭の山鉾の懸装品のタペストリーは、どのようなルートで将軍家に届いたのでしょうか?鎖国の時代、西洋諸国の中で唯一貿易を許された国はオランダでした。タペストリーが織られたベルギーとは隣国で、同じ国に属していた時代もありました。
江戸時代、オランダは長崎に商館を置いており、ハーグ国立公文書館には200数十年に渡る日本との交易の記録が残されています。売上の帳簿には売買の記録だけでなく、徳川幕府への献上品をリスト化されており、このリストにはタペストリーもいくつか含まれています。オランダは、タペストリーやその他美術品などの一級品を、しばしば将軍や幕府に献上していました。オランダは貿易を許された見返りとして、高価な贈り物をしなければなならなかったのです。見返りが必要なのは今も昔も同じなのですね…
祇園祭の山鉾の懸装品のタペストリー入手経路に関する – 3つの仮説 –
ハーグ国立公文書館に徳川幕府への献上品リストはありますが、祇園祭の山鉾の懸装品と紐づけはできていません。よって祇園祭の山鉾の懸装品のタペストリーの入手経路にはいくつかの仮説があります。
江戸時代の初め、日本は世界中の銀の1/3を産出する銀の島だった。よって祇園祭の山鉾の懸装品のタペストリーは、オランダが銀貿易の権利を得るための贈り物だった。
イエズス会の宣教師が布教活動のため献上品として持ち込んだ。
仙台藩伊達家家臣の支倉常長(はせくらつねなが)が慶長遣欧使節(けいちょうけんおうしせつ)としてヨーロッパに渡った際に持ち帰った。
いずれにしろ、徳川家に祇園祭の山鉾の懸装品のタペストリーがあったのは確かなことです。残りの4枚も一緒に徳川家に伝わったことが極めて高いとみられています。
しかし徳川家のタペストリーが、なぜ町衆の手に渡ったのでしょうか?
将軍家のタペストリーがなぜ祇園祭の山鉾の懸装品となったのか?
その秘密を解く鍵は、祇園祭の山鉾 鯉山(こいやま)とは別の山鉾にありました。
祇園祭の山鉾 鯉山と連作のタペストリーがあるのは、鶏鉾(にわとりほこ)です。描かれているのは同じくトロイア戦争一場面です。このタペストリーをよく観察すると不自然な部分があります。鶏鉾のタペストリーには、風景と建物の部分をぼかした補修した跡がたくさんあるのです。
祇園祭の山鉾 鶏鉾のタペストリーは、現在の鶏鉾のタペストリーよりもっと大きなサイズのタペストリーでしたが、1枚のタペストリーを2枚に切断していたのです。いつ、誰が、なぜ切ったのかについて、記録はありません。しかし切断された残りの部分が、どこにあるのがわかっています。祇園祭の山鉾 鶏鉾のタペストリーと同じような大きさのものが、滋賀県長浜市にあるのです。祇園祭の山鉾 鶏鉾のタペストリーの入手先は不明ですので、滋賀県長浜市に手がかりを求めましょう。
切断された祇園祭の山鉾 鯉山のタペストリーを求めて長浜へ!
滋賀県長浜で400年近く続く曳山祭(ひきやままつり)は、祇園祭と同様に木組みの山車が町を練り歩く祭です。この山車を飾るのが、切断された祇園祭の山鉾 鯉山のタペストリーの続きの部分です。よく見るとこちらも切断されつないだところがなんとなくわかります。合わせると2枚の図柄はピタリとつながり、一枚の大きなタペストリーとなるのです!
そして長浜城歴史博物館には、このタペストリーは江戸時代(1817(文化14)年3月14日)に京都の藤倉屋十兵衛から200両で購入したという売買の記録が残されているのです。藤倉屋十兵衛は京都の商人であり、藤倉屋というのは、伊藤呉服店(京都で手広く呉服等を扱っていた呉服問屋で、現在の松坂屋の前身)の別家です。伊藤呉服店は名古屋や江戸にも店を構えた豪商です。
ここで松坂屋の名前を聞くとは思いませんでした。今も昔も百貨店品質は素晴らしい!
やっと「祇園祭の山鉾の懸装品は、どこから入手したのか」はひも解けました!「将軍家のタペストリーが、なぜ町衆の手に渡ったのか?」についてひも解くためには、さらなる旅が必要です。
まだまだ旅は続きます!
祇園祭の山鉾の懸装品のタペストリーは、徳川家から松坂屋と三井財閥が入手したものだった!?
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