祇園祭は、平安時代前期の869(貞観11)年、京で疫病が蔓延した際、広大な庭園だった神泉苑(中京区)に、当時の国の数にちなんで66本の鉾を立て、八坂神社の神輿を迎えて災厄が取り除かれるよう祈った御霊会が始まりとされる。もともと朝廷や貴族の祭祀として執り行われていた祇園御霊会は、時代の変遷と共にさまざまな要素が加えられるようになりました。
祇園祭で有名な山鉾巡行は、応仁の乱(1467~77年)で途絶えましたが、1500(明応9)年に経済力をつけてきた町衆の手で再興され、室町時代には巨大な山鉾が次第に姿をあらわすまでになりました。その後も太平洋戦争など、さまざまな国難に見舞われながらも1000年以上続いてきました。足利義満や、織田信長もこの祭りを見たとされ、歴史及びその規模は他に例をみないみない壮大な祭といえます。
祇園祭の山鉾巡行の山鉾とは何?
祇園祭の山鉾巡行の山鉾(やまほこ)とは、釘は一切使わず縄だけで組んだ木組みの山車のことです。山鉾は豪華な装飾や懸装品(けそうひん)を纏っており、祇園祭ではこのような山鉾が全部で33基登場します。祭りのハイライトともいわれるのが、山鉾が列をなして町練り歩く山鉾巡行で、市内の中心4kmの道のりを進みます。山鉾巡行の様子は、豪華絢爛まるで絵巻物のようで、「動く美術館」とも称されます。
山鉾の形態は、「山」と「鉾」の2種類にわけられます。山は舞台を備え、その上にご神体の人形を載せていることが特徴です。一方の鉾の特徴は、その大きさにあり、高さ25mでビル8階建てのビルにも相当し、車輪だけでも約4mから5mもあります。京都の中心地は道幅が狭いところもあるので、電線に気をつけながら進むのでしょうね。ちなみに、山鉾がまわってくるエリアに住んでいる人が、本来の「京都人」だと言う人もいらっしゃるようです。
そして、祇園祭の山鉾33基すべてに、それぞれ名前がついています。
祇園祭の山鉾10選をご紹介!
郭巨山(かっきょやま)
500年前以上前から記録が残る歴史ある山鉾です。
山伏山 (やまぶしやま)
17世紀中国明朝(みんちょう)の宮廷を飾った龍の織物で飾られています。
太子山(たいしやま)
18世紀のインドムガール帝国で作られた刺繍布で飾られています。
霰天神山(あられてんじんやま)
火よけの神を祀っている山の正面には、(江戸中期以降に入手した)海の神々が描かれた西洋のタペストリーが飾られています。
白楽天山(はくらくてんやま)
(江戸中期以降に入手した)大きな荷物を抱えた西洋の男性が描かれたタペストリーで飾られています。
橋弁慶山(はしべんけいやま)
舞台には弁慶と牛若丸を載せ、有名な五条大橋での戦いを表現しています。
蟷螂山(とうろうやま)
御神体は、かまきりです。体の小さなかまきりが、大きな相手に恐れずに立ち向かう姿が表現され、からくり仕掛けのカマキリが羽やかまを動かすのが人気です。
鯉山(こいやま)
9枚のタペストリーで山の四方が飾られています。
鶏鉾(にわとりぼこ)
ギリシャ神話の世界を描いたヨーロッパのタペストリーで飾られています。
船鉾(ふねほこ)
戦に出陣する勇ましい姿をあらわしていて人気です。
祇園祭の山鉾は誰が守り継いている?
祇園祭の山鉾を守り継いでいるのは、町(ちょう)と呼ばれるいわば町内会です。一つの町で一つの山鉾を守り伝えてきました。占出山(うらでやま)や芦刈山(あしかりやま)など、山鉾の名前がそのまま町の名前となっている町は全部で20あります。また、山鉾を守る人々は町衆(ちょうしゅう)と呼ばれます。
山鉾に込められた思いとは?
豪華に飾りつけられた祇園祭の山鉾は、荒ぶる神を喜ばせ、町を災厄からまもりたいという願いが込められています。その山鉾が町練り歩くことで、町中が祓い清められると考えられています。
山鉾巡行の見どころとは?
山鉾巡行の最大の見せ場は、鉾を90度に回転させる辻回しです!重さ10トンを超える巨大な鉾を、およそ50人の引手が一気に回転させる姿は圧巻です!
祇園祭の山鉾の装飾や懸装品は海外からやって来た!?
「祇園祭の山鉾10選をご紹介!」で上げた祇園祭の山鉾の懸装品の説明で気付いた方もいるのではないでしょうか?祇園祭の山鉾を飾る懸装品をよく見ると、海外からやってきたものばかりで300点もあります。しかも中国やイスラム世界そしてヨーロッパまで世界中にいたるところからきた一級品ばかり!1000年以上続く伝統の祭りにも関わらず海外の一級品が使われているのでしょうか?
長くなりましたので、その謎は下記リンク先でひも解きましょう!
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