源氏物語とは、平安中期に成立した光源氏を中心にさまざまな恋愛模様を描いた小説で、登場人物が500名にものぼる壮大な長編恋愛小説です。全54帖あり、当時の貴族社会が描かれています。
源氏物語の作者は紫式部で、紫式部はだいたい30歳くらいで、源氏物語を書き始め、宮中で注目を浴びたと言われています。紫式部の生没年ははっきりしておらず、出生年は970年~978年、没年は42歳~59歳までの諸説あります。
実は紫式部が、源氏物語の着想を得た場所が残されているのです!
紫式部が源氏物語の着想を得た場所とは?
源氏物語は、紫式部が石山寺(いしやまでら-大津市)で描き始めたと言われています。
平安時代京都の清水寺、奈良の長谷寺にならび、観音霊場として有名だったのが石山寺です。貴族による石山詣(いしやまもうで)も有名で、藤原道長や更科日記の著者菅原孝標女なども参詣しました。その石山寺に、源氏物語の着想を得たと伝わる部屋があります。
石山寺は創建は747年(奈良時代)で、寺自体が巨大な岩盤の上に建っています。この岩盤は、珪灰石(けいかいせき)で国の天然記念物に指定されており、世界的にも石が露出して見えているというのは珍しいそうです。
石山寺の本堂(国宝-平安時代)は、清水の舞台とおなじ懸造り(かけづくり)の建物です。御本尊は如意輪観世音菩薩で、日本での勅封(ちょ唯一くふう)の秘仏(天皇の命令により封印された仏)です。33年に一度、および天皇ご即位の翌年に開扉され、次の御開扉は2047年の予定だそうです。御本尊の如意輪観世音菩薩の写真は飾られていて、岩の上に座っているのがわかります。
石山寺の本堂の一角に、「紫式部 源氏の間」と呼ばれる部屋が残されており、紫式部がこの部屋で物語の着想を得て書き始めた部屋として伝えられています。石山寺の記録(石山寺縁起絵巻)によると、源氏物語の着想を得るため7日間参籠(さんろう)し、7日目がちょうど中秋(一年で一番月がきれいなとき)だったので、屏風に映る月をみて源氏物語の一節を思いついたのだそうです。紫式部が参籠したのが、新しい物語を見たいという中宮の頼みであったため、個室という格の高い部屋に入られたのではないかと言われています。
ただし、本堂は一度焼失してしまったため、紫式部が使用した部屋そのものではないのですが、紫式部が参籠したのはこのあたりであっただろうということはわかっています。
石山寺で紫式部が着想を得たのが、源氏物語第12帖「須磨」と第13帖「明石」だとか。それは謀反の疑いで都を追われた光源氏が須磨に移り住み、運命の女性に出会うというお話です。
石山寺にある紫式部のまつわる宝とは?
紫式部聖像(むらさきしきぶせ
日本で一番古い紫式部像といわれています。紫式部は一人で54帖にもなる素晴らしい物語を書いたため、観音の化身(けしん)と言われる伝説があるため、「聖」という文字が使われています。この絵をX線調査したところ、源氏物語の6つの場面も描かれていたことがわかりました。紫式部が水壺を見ながら瞑想をしていて、壺の中から物語が湧きだしているという表現が使われ、作者と創作物が同時に描かれているお軸と言われています。
古硯(伝 紫式部料)
紫式部が使ったと伝わる硯(すずり)があります。墨をする部分(円窓-えんそう)の先に、池や海と呼ばれる墨をためておく場所には、牛と鯉があしらわれています。紫式部は薄い墨と濃い墨を使い分けていたと残されており、鯉の方には濃い墨、牛の方には薄い墨が入れられていたのではないかと言われています。
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