京都の渡月橋や竹林には多くの方が訪れますが、その先に絶景があるのをご存じですか?今回は、BS朝日「京都ぶらり歴史探訪」を参考に、有名観光地の先にある絶景をご紹介いたします!
京都の渡月橋は過去に改名された!?
嵐山 嵯峨野のシンボルといえば渡月橋ですね。
渡月橋は元々法輪寺橋という法輪寺を参詣のため架けられた橋でした。鎌倉時代に亀山上皇が舟遊びにきて、橋と月を見て「くまなき月の渡るに似る(夜空に浮かぶ美しい月が橋の上をゆっくり渡るように見える)」と感想を述べられたことから、法輪寺橋は渡月橋と呼ばれるようになったのです。
渡月橋という素敵な名前で呼ばれることから、古くは和歌に、現在でも数々の歌に歌われ有名になったのではないでしょうか。
嵐山中腹の法輪寺の舞台(見晴台)まで行くと、遠くには比叡山が見え、また渡月橋を上から眺めることもできます。渡月橋を渡って法輪寺まで足を延ばし、この絶景をぜひ堪能したいですね。
京都 嵐山きっての名所、竹林の道とは?
竹林の道(ちくりんのみち)は東側の野宮神社(ののみやじんじゃ)から天龍寺北門を通り西側の大河内山荘(おおこうちさんそう)までの道です。竹林の道は両側に竹林が広がり、風が吹き抜けるたびに竹の葉が生き物のように波打って、さまざまな音を奏でます。この京の竹林は、未来に引き継がれてほしい古都の音風景として環境省の「残したい“日本の音風景百選”」に選ばれています。
竹林の道の数万本もの竹は、現在は中国原産の孟宗竹(もうそうだけ)が中心ですが、かつては真竹(まだけ)が多く、野宮神社のそばに生えているため、「野宮竹」という名称でよばれたそうです。
特に、天龍寺北門から大河内山荘への100メートルほどの道は、天高く伸びた竹と小柴垣が生い茂って幻想的な雰囲気です。
目でも耳でも楽しめる京の竹林ですが、大抵の方が途中で引き返してきてしまいます。その先には何があるのでしょうか?
京都の竹林の道の先にある絶景とは?
京都の竹林の先には、大河内山荘庭園があります。ここは大正から昭和にかけて活躍した映画俳優 大河内傳次郎(1898-1962)自身が造営した庭園で、現在まで、ほぼ変わらない姿をとどめいています。なんと傳次郎は1931年から64歳で亡くなるまでの約30年この庭を造るのに没頭し、映画の出演料のほとんどを注ぎ込んだそうです。
さて順路を進むと、まず初めに見えるのが大乗閣(だいじょうかく)です。母屋として使われた建物で、数寄屋風の書院をはじめとして,泉殿のように突出した寝殿,如庵写しの小間の茶室,民家風の勝手,土間を一体化させた複雑な造り造りの建物。数寄屋師笛吹嘉一郎の代表作だそうです。
散策路はあえて先が見えない造りにして狭さを感じさせない工夫がされています。また、傳次郎は建物にこだわりがあるので、建物がしっかり見えるような剪定方法で庭がつくられています。
そして次に見えてくるのが、傳次郎が最初に造った建物、持仏堂(じぶつどう)。ここで傳次郎は座禅を組み、庭園を造る構想を得たと伝わっています。傳次郎は持仏堂を、心を落ち着かせる場所として、とても大切な場所としてとらえていたようです。
また、傅次郎は1923(大正13)年に起こった関東大震災で亡くなった人々を弔(とむら)ったと言われています。もともと映画の撮影所は東京周辺にたくさんあったのですが、関東大震災で東京周辺の撮影所が被災し、多くの撮影所が京都に移転してきて、京都が一大映画産業地となったのです。
さらに進むと、前方の山の中腹に大悲閣千光寺と、雄大な嵐山全体が見えてきます。大悲閣千光寺は、江戸時代 穂頭川の工事で亡くなった人々を弔うために 当時の豪商(土倉業)角倉了以(1554-1614)により建立されました。
なお、角倉了以は、京都の中心を流れる高瀬川をつくった人物でもあります。ご興味あるかたは、下記リンクをご参照ください。
京都・鴨川 をたどれば京都がわかる!?賀茂川の名前の由来は?鴨川を分水して高瀬川をつくった人物と、京都の文化を守るためにつくられた川とは?
大河内山荘で一番見晴らしの良い場所が、月香亭(げっかてい)で京都市内を見渡せます。京都タワーから、ずっと比叡山まで全体が見えます。京都の町中に一の丘、二の丘、そして三の丘からなる昔から美しいと評判の双ヶ岡(ならびがおか)が見えます。二の丘にはかつて、吉田兼好が住んでおり、徒然草を執筆したそうです。双ヶ岡の横には仁和寺の五重塔が見えます。
法輪寺と大河内山荘庭園 月香亭から臨める比叡山についてのひも解きは下記リンクでご覧いただけます。
さて、大河内山荘の堪月香亭から、大パノラマを堪能した後は、嵐山の景色が凝縮された場所に行ってみましょう!
嵐山の中にあるリトル嵐山の正体とは ?
平安時代に起源をもつ野宮神社(京都市左京区)にリトル嵐山があります。野宮神社は、源氏物語で光源氏が、かつての恋人 六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)と今生の別れを迎えた場所として描かれたことでも有名な場所です。
野宮神社には、クヌギの木の皮を剥ぐことなく使用した日本で最も古い鳥居の様式でつくられている黒木鳥居とと、祈りを込めてなでると1年以内に願い事がかなうといわれている神石(亀石)があります。
しかし、今回注目するのは、野宮神社の苔庭(通称 野宮のじゅうたん苔)です。およそ200坪の庭に絨毯のようなきめ細やかで美しい苔が広がっています。この苔庭の白砂や石が桂川、その上の橋が渡月橋、うっそうと生い茂る木々は嵐山で、その反対側にあるこんもりした丘が小倉山を思わせます。そう、これが嵐山の景色を凝縮したリトル嵐山です!
リトル嵐山の正体は、庭師さんが遊び心で作った風情ある苔庭に隠された粋な演出でした。
光源氏の正室 葵の上と六条御息所の女の争いが『源氏物語』に描かれています。詳しくは、下記リンクからどうぞ。
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