輪島塗 漆器の良さ・特徴と工程を詳しく説明します!輪島塗に使われる地の粉(じのこ)とは?

石川県輪島市は、日本海の豊かな海の幸が並ぶ物輪島の朝市や、多くに人でにぎわう400年の伝統を持つ勇壮なキリコ祭りも有名ですが、輪島と言えば私にとっては、やはり高級感あふれる輪島塗です。今回は輪島塗が日本を代表する伝統工芸となった理由についてひも解いていきましょう!

輪島塗の良さ・特徴を表す4文字とは?

それは、堅牢優美(けんろうゆうび)です。頑丈でありながら、上品で美しいという輪島塗の特徴を表した言葉です。

輪島塗の工程(作り方)とは?

木地づくり

木地づくりとは、器の形を作り出すことです。お椀の木地の場合、木地となる原木を大まかに型取った後に、燻煙乾燥させ、自然乾燥で1年ほど寝かせます。時間をかけてしっかりと木の中の水分を飛ばすことで、木の変形を防ぎ完成後もひび割れを防ぎ、耐久性が増します。燻煙乾燥させるため木地の周りは黒っぽく、削りながら加工していくことで中の白くきれいな部分が見えてくるようになります。

器の用途によって用いられる樹種が異なり、またそれぞれに適した技法があるのだそうです。


上塗り

上塗りとは、塗師屋(ぬしや)で行われる、職人さんの塗りの工程です。塗りの工程はなんと、133工程もあります。塗りは木地に生の漆(うるし)を塗った状態からスタートします。その後布着せ(ぬのきせ)という、器の縁や底など壊れやすい部分に麻布をかぶせて漆で貼り補強する工程があります。漆は塗料でもあり、接着剤でもあるのです。第87工程あたりになると、塗りが進み、触っても布がかぶせてあるのはわからない状態になります。堅牢さは木地ではなく、塗りが生み出しているもので、第1工程と第133工程では、器の厚さが全く異なります。


文様つけ

優美さを支える技法の一つが沈金(ちんきん)です。漆の表面に沈金ノミという刃物で彫って文様を描き、金銀箔・金銀粉を埋め込みます。輪島では、沈金を使った新たな表現を絶えず模索が行われてきました。繊細な文様が描けるのは、輪島塗は塗りがしっかりしているおかげです。沈金ノミを跳ね上げても、隣に打った点から崩れてくることはないから細かな文様が彫れるのだそうです。

もう一つが蒔絵という技法です。漆で文様を描き、漆が固まる前に金銀粉を蒔きつけます。粘りのある漆液を筆につけ、細い線は勢いを失わず、広い面は筆の跡が残らないように文様を描くのは至難の技です。

輪島塗は昭和52年に漆器として初めて国の重要無形文化財に指定されました。輪島塗は、高い技術を用い、長い工程を経て出来上がる芸術品ですね。


輪島塗の堅牢さの秘密は「地の粉(じのこ)」にある!

漆(うるし)は、漆の木から採取する乳白色の樹液で、ウルシオールという成分でかぶれる人もいます。古くから漆は高価なものなので、多くの漆器産地では、漆に土や泥をまぜて節約して下地塗りを行うのが一般的です。しかし輪島塗は、「地の粉(じのこ)」という黒い粉を混ぜます。漆にまぜるこの「地の粉(じのこ)」こそが、輪島塗を堅牢にする秘密なのです。


地の粉(じのこ)の山とは!?

地の粉の山は、黄色っぽい風化した地層の山で、能登半島ならではのある地質でできています。その正体は、泥岩(でいがん)の一種で、珪藻土(けいそうど)です。珪藻土とは、海や湖の植物プランクトンが水底に蓄積し化石化した土のことです。そして地の粉とは、この珪藻土を焼いて粉にしたもので、黒くサラサラとしています。

1,200万年前、現在の九州北部と朝鮮半島は陸続きでした。日本海には栄養豊富な還流が流れ込み珪藻が大繁殖し、周囲より浅かった能登半島付近に大量に堆積しました。その後プレートの動きにより海底が隆起し地表に珪藻土が現れました。こうして能登半島は、日本有数の珪藻土地帯になったのです。

珪藻土のバスマットなどはよく水分を吸収すると人気ですが、この珪藻土が水分を吸収する仕組みが、輪島塗を堅牢にする仕組みそのもので、珪藻土は水だけでなく漆もよく吸収するのです。漆に珪藻土を混ぜると、珪藻土の粒と粒の間に漆が染みこみます。これは珪藻土以外の泥や砂でも同じです。珪藻土がすごいのはここからです。珪藻土の粒の穴に漆が染みこんでいくのです。珪藻土はダブル吸収で、より多くの漆を吸収することができ、漆と珪藻土が一体化することで、非常に硬い、堅牢な下地になるのです。


輪島塗はどのように全国に広まったのか?

北前船

輪島塗が特に全国に広まったのは、江戸から明治にかけてで、当時もお祝いの席などで使うもので、料亭などで積極的に使っていました。

北前船は江戸時代から明治にかけて海運の大動脈として活躍しました。日本海側の港と瀬戸内海や大阪を結び、地域の特産品を各地に広めました。石川県輪島市は能登半島にある日本海に面した港町ですので、北前船にとって能登半島における重要な港の一つだったのです。

断崖絶壁が続く能登半島の日本海側で、港ができるというのはとても貴重です。輪島に港ができたのは、輪島崎に輪島港を守る自然の堤防となる岩場があったからなのですが、日本海の荒波をブロックするには、地層が固くないと波に耐えることができません。どんな岩なのでしょうか?

この自然の堤防となる岩場は、全体的に白っぽく、ざらざらした石灰質砂岩(せっかいしつさがん)でできています。石灰質砂岩は、貝殻などの化石を多く含む砂岩です。なぜ固いのかというと、貝殻の化石の主な成分は炭酸カルシウム(貝殻やサンゴの骨格などの主成分で、セメントの原料と同じ)でできているからです。

石灰質砂岩ができる仕組みとは?

砂と貝殻が海底に堆積していくと、貝殻の炭酸カルシウムが溶け出し、砂粒と一体化し、とても固い岩石になるのですが、石灰質砂岩はいくつか条件がそろわないと海の底でできません。砂の中に貝がいて、貝殻が潮の流れや海流で集められないと石灰質砂岩はできません。地形などの条件がそろう必要があり、そう簡単にできるものではないのです。


あるインフルエンサーの存在

また輪島塗は、ある意外なことで全国に広まりました。

高さ18mの山門がある鎌倉時代に創建された總持寺(そうじじ)は、全国の1万以上の曹洞宗の寺を統括してきました。その境内にある大祖堂(だいそどう)という高僧の尊像が安置されている場所にヒントがあります。

總持寺には、輪住制度(りんじゅうせいど)があり、これは住職が短期間で交代する仕組みで、各地の僧が複数人で住職をつとめるものです。明治の初めまで続き、全国各地の僧侶5万人が總持寺の住職をつとめました。總持寺には、『住山記(じゅうざんき)』という歴代の住職の名簿が残されており、それを見るとよくわかります。

總持寺で使われている 仏具はほとんどすべて輪島塗で、住職は法要の導師(どうし)を努め、実際に輪島塗の如意(にょい)などを自分の手で握ります。そうすると輪島塗の質感などを直に感じ、自分でこれはいいなと思い、それを輪島で求め故郷の寺に戻られたりしました。全国から来た途方のない数の僧侶がそれを繰り返し、輪島塗というものが広がっていったのです。輪島塗は僧侶を魅了し全国に広まったのです。

堅牢優美で日本を代表する伝統工芸になった輪島塗は、僧侶というインフルエンサーの存在が大きく影響していたのです。


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