お伊勢参りを江戸時代に流行らせた仕掛け人とは?江戸時代の豪華なお伊勢参りと庶民のお伊勢参りとは?江戸時代の旅行ブーム、お伊勢参りと京都の関係とは?

いつから庶民のお伊勢参りは盛んになったのでしょうか?江戸幕府が全国の街道を整備し、江戸時代に数回起きた熱狂的な参詣ブーム「おかげ参り」が起こりました。全国から民衆が集団を組み伊勢神宮へ押し寄せました。とくに幕末(1830(文政13)年頃には、おかげ参りの参拝者は半年間に約460万人がお参りしたといい、当時の人口はおよそ3000万人ほどだったので、実に日本人6人に1人はお伊勢参りをした計算になります。江戸時代のお伊勢参りについてひも解いていきましょう。

お伊勢参りを江戸時代に流行らせた仕掛け人とは?

お伊勢参りを広めた仕掛け人、御師(おんし)という職業の方が伊勢にいます。伊勢神宮の御神職なのですが、旅のお世話もしていました。つまり、御師とは全国を回り伊勢信仰を広めつつ、参拝される方の宿泊・観光などの旅のお世話をする人で、旅行代理店のような役割を担っていました。伊勢市内には、唯一現存する御師の家として「旧御師 丸岡宗大夫(まるおかそうだゆう)邸」(三重県伊勢市)が今でも残っています。

昔は外宮の門前町山田(やまだ)だけでも611件の御師邸がありました。上述の「旧御師 丸岡宗大夫邸」は江戸末期に建てられた建物で、当時は最大50人ほどが宿泊できたそうです。江戸時代の絵図『伊勢参宮名所図会』には御師の手代(部下)の出迎えの様子が描かれた絵が残されています。


江戸時代の豪華なお伊勢参りとは?

おかげ参りは団体旅行がメインで、中には豪華な旅を楽しむグループもいたそうです。御師料理(本膳料理)には、神様に捧げる食材をふんだんに使い、当時の庶民にとってほとんど目にすることのなかった高級な料理が提供されました。また『伊勢参宮名所図会』に祈祷の大々神楽といって、貸し切りで神楽を奉納する人々がいたことも記されています。丸岡邸の記録によると総額60両(現在の価値で2000万円)を支払った団体客もいたそうです。

また、茶屋などがある古市という豪遊できるエリアがありました。創業200年以上を数える麻吉旅館(あさきちりょかん)(三重県伊勢市)は今も現役の宿です。かつて30人もの芸子さんがいたお茶屋さんで、夜になると伊勢神宮でお参りを済ませた人々で大いににぎわいました。『東海道中膝栗毛』にも登場しています。


江戸時代の庶民のお伊勢参りとは?

一方貧しい庶民には、「抜け参り」という方法がありました。これは親や主人に許可を得ないでお金も持たず伊勢参りをすることです。当時は参拝者を助けると徳が高まるとされ、道中の人々が宿や食事、路銀などを提供しました。そのため、お金がなくても伊勢に行けたのです。中でも1705(宝永2)年の参詣ブームは、京都の子どもの抜け参りがきっかけです。

この影響で、京都で家出人が増え、奉公人が主人の許可を得ずに出ていくなど、その波は全国に及び、50日間で362万人が伊勢に押し寄せ参拝者であふれたと言います。


京都の人々にとっての伊勢神宮

京都の人々は天皇を大切にしていたので、その御祖先を祀った伊勢神宮は格別でしたので、京都にも伊勢神宮を造ったほどです。日向大神宮(ひむかいだいじんぐう)(京都市山科区)では、伊勢まで行かなくても拝め、その裏山には、伊勢神宮の方向に向かって鳥居(伊勢神宮遥拝所)が建てられ、そこから伊勢神宮を拝むことができるようになっています。昔から京都の人々は伊勢に対して格別の思いがあったのです。


江戸時代の旅行ブーム

京都と伊勢の繋がりは、日本の観光業にとって重要なポイントでした。江戸時代一大旅行ブームが起きガイドブックが多く発行されている京都は『都名所図会』という有名なガイドブックがあり、京都三条大橋から伊勢までについて書かれた『伊勢参宮名所図会』があります。このガイドブックからわかるとおり、江戸時代伊勢神宮での参拝後は、京都観光定番だったのです。

応仁の乱以降衰退していた京都ですが、お伊勢参りの旅人が立ち寄るようになり、これが復興の追い風になったともいわれています。


伊勢神宮と豊臣秀吉

応仁の乱で荒れ果てた京都を改造した豊臣秀吉も、伊勢神宮にお参りをしました。その際に好んで食べたお餅があったそうで、『神都長嶺記』には豊臣秀吉が「美味也と御称美なし故太閤餅と号けし」と記されています。今でも、おかげ横丁(おはらい町)に太閤出世餅として売られています。中には粒あんが入ったおいしいお餅です。


伊勢神宮の式年遷宮は一度途絶えていた!

式年遷宮は記録によると飛鳥時代に始まり750年以上続いていましたが、応仁の乱の前後に途絶えてしまいました。1467年の応仁の乱の後、朝廷が衰退し費用が捻出できなくなり伊勢神宮は式年遷宮ができなくなってしまったのです。

そこで力を尽くしたのが豊臣秀吉で、およそ120年間途絶えていた伊勢神宮の式年遷宮を復活させたのです。豊臣秀吉は式年遷宮の費用として現在の価値でいえば10億円以上のお金を援助しました。また全国で行われた太閤検地は神の地として伊勢は特別に免除し、伊勢神宮を大切にしました。



関連リンク

伊勢神宮の概要などについては、下記リンクでご紹介しています!

伊勢神宮に祀られている三種の神器の1つ八咫鏡(やたのかがみ)とは?伊勢神宮の鳥居の特徴とは?

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