シャーロックホームズは実在したのか?魅力と謎とは?活躍した時代は?

ロンドンのベーカー街221Bに住む名探偵 シャーロック・ホームズは、本当にいたのでしょうか?答えは、イギリス人小説家アーサー・コナン・ドイルの想像力から生み出された想像上の人物です。

なぜシャーロック・ホームズは多くの人々に実在するのではないかと思わせる現実味のある人物なのか、ひも解いていきましょう。

シャーロックホームズは実在するのか?シャーロックホームズの魅力と謎

特徴的な外見、伝説となった住所(ベーカー街221B)、すべてを見通す目、卓越した推理、シャーロック・ホームズ、名探偵はイギリス人小説家アーサー・コナン・ドイルの想像力から生み出されました。

シャーロック・ホームズ関連は映画は260本以上、1000話を超えるテレビドラマが制作され、アニメや漫画、ゲームにも数えきれないほど登場した名探偵シャーロック・ホームズ。時代も国も超え、人々に愛されてきたシャーロック・ホームズは、文学の世界の伝説ともいうべき存在です。シャーロック・ホームズについてひも解いていきましょう!

シャーロック・ホームズの作者、コナン・ドイルについては下記リンク先でご紹介しています!

コナン・ドイルの生涯と心霊主義、なぜコナン・ドイルは妖精や霊魂の存在を信じたのか?



シャーロック・ホームズのモデルは誰か?

シャーロック・ホームズのキャラクターは、コナン・ドイルの医学校時代の教授ジョセフ・ベル博士にヒントを得ています。彼の推理力は学生を驚かせ、たびたびロンドン警視庁からもお呼びがかかりました。コナン・ドイルは「ジョセフ・ベル博士は、話を聞かなくても、観察だけで病気の診断ができました。国籍や職業などを言い当てることもしばしばありました。教授のような科学者が探偵になれば当てずっぽうに捜査をせず、科学的データを積み上げて犯人を突き止めるだろうと思いました。」と言っています。

注意深く観察し、慎重に推測し、証拠を確認する、コナン・ドイル従来の小説に描かれた操作の方法を手本にしました。しかしそれだけではありません。主人公の並外れた観察眼と、科学捜査の手法を物語の中心に据えたのです。

シャーロック・ホームズの鋭い推理を読むと読者は皆こう思います「なるほど、そういうふうに考えていけばよいのか。これなら自分にもできる」、ところがそれができないのです。でも、できる気になれるのはいいものです。


シャーロック・ホームズ 小説もう一つの特徴

もう一つの特徴、それはジョン・ワトソンという人物を物語の語り手にしていることです。アフガニスタンで負傷して帰国した軍医、シャーロック・ホームズのルームメイトで、相棒でもあります。ジョン・ワトソンは読者とシャーロック・ホームズをつなぐ、うってつけの存在です。当初探偵の名前は、シェリンフォード・ホームズになる予定でした。相棒の名前は、かなり陽気なイメージのオーモンド・サッカーです。幸いにもその名前は見直されることになり、シャーロック・ホームズとジョン・ワトソン博士になりました。


シャーロック・ホームズの誕生

第一作のタイトルは当初「もつれた糸かせ」でしたが、のちに「緋色の研究(A STUDY IN SCARLET)」に変更されました。「緋色の研究」は掲載してくれる出版社がなかなか見つからず、最終的に1887年版「BEETON’S CHRISTMAS ANNUAL(ビートンのクリスマス年間)」という雑誌で発表されます。著作権買取でわずか25ポンド支払うという条件でした。

「緋色の研究」は、商業的には失敗に終わりましたが、ロンドンに立ち寄ったあるアメリカ人編集者が、「緋色の研究」を気に入り原稿料の100ポンドという大金で一執筆を依頼しました。この依頼でコナン・ドイルは、ひと月足らずで長編「四人の署名」を書きあげます。作品は1890年2月に出版されましたが、あまり話題にはなりませんでした。


シャーロック・ホームズが探偵小説の基礎となる!

翌年、月刊誌のストランドマガジン(The STRAND MAGRZINE)が創刊されました。そこにコナン・ドイルは、シャーロック・ホームズとジョン・ワトソン博士を主人公とする新たな小説を書いたのです。1891年に発表した短編「ボヘミアの醜聞」は、たちまち大ヒットになりました。ストランドマガジンは、至急追加で書いて欲しいと要求してきました。短編6作で150ポンド、連載小説のように、毎月掲載されるようになりました。すべて一話完結ですが、繋がりのある短編小説で、登場人物はみな同じという、それまでにはないまったく新しい試みでした。コナン・ドイルは、今日(こんにち)の探偵小説の基礎を作りました。もとをたどれば、すべてシャーロック・ホームズにいきつきます。まず殺人事件が起き、捜査、解決とつながる一話完結のスタイルです。それまでは誰も手掛けなかったものです。

ストランドマガジンは眩暈(めまい)がするほどの売り上げを記録しました。大衆は熱狂し、バックナンバーまで買い求めました。


シャーロック・ホームズは実在する!?

シャーロック・ホームズは、かなりの変人に描かれていますが、実際に存在しそうな人物でもありました。そして誰もが知っている世界、知っている町に住んでいました。イギリスロンドンのベーカー街に行って背の高い痩せた男を見かけたら、あれは本物のシャーロック・ホームズかもしれない、とふと思わせるような、現実味がありました。

2008年2月には発表された英テレビ局UKTVゴールド(UKTV Gold television)が国民3000人を対象に行った調査結果では、23%の人は第2次世界大戦時に国民を率いたウィンストン・チャーチル(Winston Churchill)元首相を架空の人物だと思っていましたが、58%の人が推理小説の主人公シャーロック・ホームズ(Sherlock Holmes)を実在の人物と思っていることがわかりました。

当時の人々もシャーロック・ホームズを実在の人物だと思っていたようです。シリーズを書き始めたころから、コナン・ドイルはシャーロック・ホームズ宛の手紙を受け取るようになっていました。作家にすればあまり嬉しいことではないと思いますが・・・

シャーロック・ホームズもベーカー街221Bも架空のものと皆わかっているはずなのに、実在すると信じたいのです。本当に存在していてもおかしくないほど、すべてが完璧にできているのです。


シャーロック・ホームズのさらなる魅力とは?

そしてもう一つ、物語に魅力を添えていたのが、ロンドンの町そのものです。霧の中、夜の闇に紛れて恐ろしい犯罪が起こります。切り裂きジャックの町、不気味な暗黒街。この悪の栄える帝国に、一人の男が立ち向かい死闘を繰り広げるのです。屋外の風景と、部屋に引きこもる人嫌いのシャーロック・ホームズとの対比が読者をひきつけました。

このシリーズの魅力は、悪魔が触手を広げていく様(さま)です。「四人の署名」では、インドのアグラ要塞、「恐怖の谷」では、アメリカのヴァーミッサ峡谷、「緋色の研究」では、ユタ州の平原、遠く離れた所を起源とする悪がロンドンに侵入してきます。事件はロンドンで起きるかもしれませんが、悪はあらゆる場所からやってくるのです。コナン・ドイルは、シャーロック・ホームズに「ロンドンの薄汚い路地より、微笑みかける美しい田園地帯の方が、往々にして恐ろしい犯罪の記憶をとどめているものだ。」と言わせています。

探偵小説はある種の安心感を与えてくれます。犯人が誰か明らかになることで、真実は必ず見つけ出すことはできるという確信が持てます。だからこそ人々はシャーロック・ホームズに入れ込み、想像の産物以上のものとして、その存在を受け入れるのです。サンタクロースに手紙を書く子どものように、私たちにも信じられる何かが必要なのかもしれません。


シャーロック・ホームズが活躍した時代

シャーロック・ホームズは時代の精神を象徴する人物でした。それまではっきりと表現されていなかった何かに、顔を与えたのです。魅力的ではあるものの、社会に不安を与えた産業革命、大きく様変わりする時代の中にあって人々は、科学の力を信じたいと願っていました。シャーロック・ホームズの驚異的な推理を目の当たりにして、考える力が最終的には勝利につながると期待したのです。シャーロック・ホームズは暗闇の中の希望です。コナン・ドイルが、シャーロック・ホームズというスターを生み出したことで、理性が光り輝き世界中のあらゆる謎を解き明かす可能性が生まれたのだと思います。

「不可能を消去したのち、残ったものがいかに突飛であろうとも、真相なのだ。」


シャーロック・ホームズが近代捜査の基礎!?

徹底した合理主義者のコナン・ドイルは、法医学という新しい分野を作品に取り入れました。フランスのエドモンド・ロカールによって世界初の法医学研究所が設立されたのは、1910年。エドモンド・ロカールは、シャーロック・ホームズの小説が設立のきっかけになったと認めています。フィクションが一足飛びに現実になったのです。指紋の採取、塵や糸くずの分析、様々な痕跡の解析。コナン・ドイルがシャーロック・ホームズに行わせ、エドモンド・ロカールが発展させた手法の多くは、近代捜査の基礎となっています。

しかしシャーロック・ホームズの魅力は、その科学の才能だけではないようです。一体なぜ私たちは誕生から一世紀以上シャーロック・ホームズに夢中になっているのでしょうか?


シャーロック・ホームズが、魅力的なのはなぜ?

・逆説的な説明にしぎないかもしれませんが、一つ理由があるとすれば、シャーロック・ホームズが社会と折り合いがつかない人物だからではないでしょうか。ヒーローとしてはあまりないタイプの人間です。

・付き合ってあまり楽しい人物ではないです。ストラディバリウスを演奏しますが、音楽や芸術には興味がありません。美食にも政治にも興味はなく、洒落た会話もできません。いつも不機嫌で、コカインを常習しています。

・シャーロック・ホームズは我慢のならない人物です。知識は深いのですが、それは非常に限られた範囲で、他のことにはまったく興味がありません。基本的に暗い性格なので誤解されることが多く、言うなれば不幸な天才です。またいささか、やりすぎな傾向にあります。

・シャーロック・ホームズは自分の知性と才能を十分すぎるほど理解していると思います。またそれに苦しんでいるように見えます。また自分が周りの世界と少々かけ離れていることにも、苦しんでいます。こうした要素が宗教にのめり込む人のように、シャーロック・ホームズを没頭させました。天から授かった職業、探偵にのめり込むのです。

シャーロック・ホームズのこういったキャラクターは、現代に置き換えても非常におもしろいものになります。


シャーロック・ホームズの描かれ方も魅力の一つ!

コナン・ドイルは一般の人の代表である、ジョン・ワトソン博士の目を通してシャーロック・ホームズを描いています。ジョン・ワトソン博士はシャーロック・ホームズを現実社会に繋ぎとめる大事な役割を担っています。

・ジョン・ワトソン博士は普通の常識的な人なので、すんなり感情移入できます。ジョン・ワトソン博士もまた私たちと同じように、シャーロック・ホームズに魅力を感じているのです。シャーロック・ホームズにとっては唯一の友人です。

・ジョン・ワトソン博士は私たちとシャーロック・ホームズに繋ぐ存在です。私たちはジョン・ワトソン博士を通じて、シャーロック・ホームズを見ています。いかに欠点があろうと、ジョン・ワトソン博士はシャーロック・ホームズのことが好きなのです。

ジョン・ワトソン博士のおかげで、私たちもシャーロック・ホームズのことが好きになります。コナン・ドイルの凄いところは、2人の人物を一つのものとしたこと。文学史上例のないタイプの友情を描いたことです。それがこのシリーズの成功の鍵となっているのではないでしょうか?


シャーロック・ホームズのイメージはどこから来た?

読者は本を読んでシャーロック・ホームズのイメージを自分なりに膨らませていきます。それはコナン・ドイルが思い描いた姿。「身長は180cmを超えているが、ひどく痩せているため、ひときわ高く見える。薄いカミソリのような顔に、高い鷲鼻、2つの目は小さく、鼻の両脇によっている。」とかなり違っていました。

ストランドマガジンのイラストレーター シドニー・パジェットは自分の弟をモデルにシャーロック・ホームズを描きました。シャーロック・ホームズは彼の筆によって命を与えられたのです。


シドニー・パジェットの絵によって、読者の中にシャーロック・ホームズの具体的なイメージが作り出されました。顔や体型だけでなく、服装もまたしかりです。シドニー・パジェットは自分が外出するときにかぶっていた鹿撃ち帽を、シャーロック・ホームズにも被らせました。この探偵のスタイルが、大衆は大いに気に入りました。鹿撃ち帽、コート、パイプ、虫眼鏡、物語は独り歩きを始め、少しずつ作者であるコナン・ドイルから離れていきます。コナン・ドイルは読者のイメージに合わせることを、余儀なくされました。のちに初めて作者であるコナン・ドイル公認の芝居が上演されたとき、シャーロック・ホームズを演じた俳優のウィリアム・ジレットが、シドニー・パジェットの挿絵に登場するシャーロック・ホームズストレートパイプをカーブのあるパイプに替えました。くわえたままでも口元が隠れないというのが、その理由です。

一つ一つ小さな要素が積み上げられ、シャーロック・ホームズの人物像が出来上がりました。シャーロック・ホームズの一番有名なセリフをあげてくださいというと、多くの人が「初歩的なことだよ、ワトソン」という言葉をあげます。しかし原作にはこの言い回しは一度も出てこないのです。でも今、これをシャーロック・ホームズのセリフではないという人がいるでしょうか?


シャーロック・ホームズ 作者による殺害計画

ストランドマガジンで始めた連載のおかげでコナン・ドイルは作家として生活できるようになりました。しかし、想像上の人物が命を得て、勝手に動きまわり始めたことがきがかりでした。

コナン・ドイル自身は、歴史小説を書きたかったのですが、ストランドマガジンが毎月シャーロック・ホームズの新作を要求してくるので、コナン・ドイルは作品の質を落とさないよう苦心して書いていたのです。しかしついには、自分が囚われの身であるかのように感じ、シャーロック・ホームズを書くことに一切耐えられなくなってしまいました。

そしてコナン・ドイルはシャーロック・ホームズを殺そうと心に決めます。このことを母親に伝えると、母親は激怒して手紙を送ってきました。「いけません。そんなことをしてはダメ、絶対にダメです。」

ストランドマガジンは新しいシリーズの連載を依頼してきました。コナン・ドイルは迷ったあげく、破格の報酬を要求します。最初のシリーズよりはるかに大きな金額を求め、あきらめさせようとしたのです。ところがストランドマガジンはその条件をのみました。もう逃げることはできません。新しいシリーズ12話で1000ポンド、最初のシリーズの3倍です。コナン・ドイルは金の檻の中でシャーロック・ホームズのシリーズを書き続けることになりました。


シャーロック・ホームズが作者により殺害される!?

強烈な個性をもつ登場人物は、フィクションの世界から抜け出して、現実の世界にやってきます。現実とフィクションの間を行き来するものがあると気付くと、次は自分もフィクションの世界にいるのではないかと感じるようになります。この不確実さを、フロイトは「不気味なもの」とよび、文学や神話の人物にみられます。その存在感があまりに大きいと、実在するのか否かさえ、確信がもてなくなります。フィクションが現実以上に力をもって、現実を変えていきました。

コナン・ドイルにとってシャーロック・ホームズは悪夢となり、ついには生みの親である彼を単なる秘書役に貶めようとしていると感じたのです。「シャーロック・ホームズが戦いをのぞむのなら、受けてたとう・私は物事を中途で終わらせはしない。この最後の物語は最高傑作となる。」

コナン・ドイルは、シャーロック・ホームズを殺害するために、究極の犯罪者をつくりあげました。その人物に学生時代の同級生の名をとって、モリアーティと名付けました。シャーロック・ホームズと同じくらいの頭脳を持ち、同じくらい優秀な男です。

比べるもののない大敵との対決!モリアーティ教授とシャーロック・ホームズは、まさに両極端の存在です。二人の最後の戦いの舞台に選ばれたのは、コナン・ドイルがスイスを旅行したときに見たライヘンバッハの滝でした。1892年12月ストランドマガジンに掲載された『最後の事件』で、物語は避けがたい結末をむかえます。シャーロック・ホームズとモリアーティはもつれあったまま、滝から落下しライヘンバッハの泡立つ滝に消えていきました。


読者の反応とは?

読者にとってはまさかの驚き、信じたくありませんでした。翌日仕事に行くとき、人々は黒い喪章をつけて出掛けたと言われています。作者と出版社のもとには抗議の手紙が殺到しました。コナン・ドイルの回想録によれば読者からの手紙には「このケダモノ」と書かれていたそうです。コナン・ドイルは「泣いた人が大勢したと聞いた。だが、私自身は新たな世界へ羽ばたくチャンスを得たことが嬉しかった。高額な報酬の誘惑で、なかなかシャーロック・ホームズから逃れられなかったからだ。」と語っています。

歎願や脅迫がどんなにこようと、「もうシャーロック・ホームズは書かない」というコナン・ドイルの決意は揺るぎませんでした。


シャーロック・ホームズの一度だけの復活

姿を消してから10年、シャーロック・ホームズは帰ってきたのです。大衆はシャーロック・ホームズを求めていました。コナン・ドイルはついにあきらめ、シャーロック・ホームズを復活させることにします。ただし一度だけです。

読者からの圧力に負けてシャーロック・ホームズをよみがえらせるしかなくなったコナン・ドイルは、ちょっとしたトリックを使いました。シャーロック・ホームズが死んだ後ではなく、以前の事件としたのです。小説『バスカヴィル家の犬』は、シャーロック・ホームズの死の3年前に起きた事件という設定で書かれました。驚いたことに彼の戦う相手は、もはやロンドンの闇ではなく、幻想的な生き物でした。闇夜に乗じて湿原を恐怖に陥れる巨大な黒い犬です。

『バスカヴィル家の犬』は、かなり奇妙な物語です。肝心のシャーロック・ホームズがほとんど登場しません。中心になって捜査を進めるのは、ジョン・ワトソン博士で、これがまた問題でした。この作品でもそうですが、ジョン・ワトソン博士はあまり頭のきれる人物としては描かれていないからです。大事なことに気が付かず、理解もしていないため、間違った解釈をしてしまうのです。シャーロック・ホームズは離れた所でジョン・ワトソン博士を監視し、独自の捜査を行います。


コナン・ドイルがシャーロック・ホームズに対して抱いている複雑な感情が、この作品にあらわれています。捜査が何ともしまらない感じです。気怠さが物語全体に漂い、統一感というものがありません。注目すべきはシャーロック・ホームズが何度も間違いを犯す点です。信じがたいことや、一貫性のないことばかりが続き、絶対的な真実の姿がまったく見えてきません。登場するのは推理とはかけ離れた人物ばかりです。この事件を別の視点から見ようとするなら、まずこの距離感をうめなければなりません。

手がかりを素直に受け入れると、シャーロック・ホームズが間違った人物を容疑者と考えていることはすぐにわかります。シャーロック・ホームズの人物像は、かなりぼやけています。彼はしばしば謎の人物として、湿原にあらわれます。ジョン・ワトソン博士ですらシャーロック・ホームズとは気づきません。シャーロック・ホームズは正体不明の人物なのです。物語の中で彼は真実の象徴でも、偽りの象徴でもある非常に曖昧な人物として描かれています。シャーロック・ホームズが伝説の存在になったのは、相反する2つの力が秘められていたからです。

『バスカヴィル家の犬』は1901年に出版されるとすぐに大ヒットしました。シャーロック・ホームズを復活させろという圧力はさらに強まります。しかし本当にこの一作で終わりだとコナン・ドイルは決めていました。


シャーロック・ホームズは死んでいなかった!

ところが間もなく、コナン・ドイルの決心を揺るがせるオファーが舞い込みます。アメリカの雑誌コリーアーズ(Collier’s)から示された1話につき5000ドル+印税という条件、6話で30,000ドル、✙3話で65,000ドル、こうしてシャーロック・ホームズは1903年9月23日に復活しました。

シャーロック・ホームズはどのように滝つぼから生還したのでしょうか?

実は落ちていなかったのです。彼は日本の武術を使って、モリアーティを死に追いやりました。シャーロック・ホームズが姿を消していた3年間を説明するため、コナン・ドイルはいくつもの冒険を考え出さなければなりませんでした。シャーロック・ホームズはチベットでダライ・ラマに会い、ノルウェーを探検し、ペルシャを横断し、メッカを訪れ、ハルツームで暮らしていたことになっています。


この後33の物語の中でコナン・ドイルは、シャーロック・ホームズの経歴を作り上げていきました。1854年生まれとされるシャーロック・ホームズは、貴族の出身。政府で働く兄マイクロフトがいます。ジョン・ワトソン博士は結婚しますが、シャーロック・ホームズは『ボヘミアの醜聞』で出会った女性エレーナ・アドラーとの思い出を胸に独身を貫きます。シャーロック・ホームズは田舎に引きこもって、養蜂を楽しみ、時折現役に復帰しては新しい謎を解きます。第一次世界大戦が起こるとドイツ軍のスパイを見つけ出して国に貢献しました。

1927年シャーロック・ホームズの最後の物語『ショスコム荘』がストランドマガジンに掲載されました。


そしてシャーロック・ホームズは生き続ける

シャーロック・ホームズは、作品の中で永遠に生き続けます。

物語の人物が伝説的に扱われるようになると、作者の存在は薄らいでいきます。コナン・ドイルの他の著作もコナン・ドイル自身のことも、次第に人々の記憶から消えていきました。それに対しシャーロック・ホームズは、国境も時代も超えて旅を続けています。さらに活き活きと活力を得て、120を超える作品に脚色されました。

シャーロック・ホームズが時代を超越する理由、100年経った今も愛される理由は、ヴィクトリア朝のロンドンにとどまる必要がないと気付いたからです。国や時代が違ってもシャーロック・ホームズはそこに居られます。膨大な数の映像作品や関連商品、メディアへの登場、そのたびに姿形は異なっても、本質の変わらないシャーロック・ホームズの動きは高まっていきます。時代を超越する人間の精神、光と闇の永遠の対立、そして謎めいた共犯関係、それこそがシャーロック・ホームズを伝説の探偵にしている秘密ではないでしょうか。


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