1922年イギリス人考古学者ハワード・カーターによりツタンカーメン王墓が発見されました。ツタンカーメン王墓を発掘すると、死を招くツタンカーメンの呪いにより、発掘関係者が次々と不可解な死を遂げたといいます。墓を暴かれた少年王ツタンカーメンのミイラが呪いをかけたのでしょうか?今回は死を招くツタンカーメンの呪いをひも解いてみましょう。
- ツタンカーメンの呪いとは?
- ツタンカーメン王墓発見からわずか5か月後の1923年4月5日に、発掘スポーンサーだったカーナヴォン伯爵が死去
- 伯爵の死と同時刻にカイロで大停電が起きた。
- 発掘関係者たちが次々と不可解な死をとげ、22人以上の犠牲者がで出た。
- カーターの飼っていたカナリアが発掘現場でコブラに飲み込まれた。カーターがこのカナリアを飼い始めた年にツタンカーメン王墓を発見し、発掘関係者はラッキーなカナリアだと大切にしていたため、呪いだと恐れられた。
- ツタンカーメン王墓の入り口の碑文には、「墓を荒らした者に死を与える」と書かれており、これはツタンカーメンの呪いだと恐れられた。
- シャーロックホームズの作者コナン・ドイルは、死の原因は墓を守る神官が作り出した魂でも霊体でもない、謎のエレメントのせいだと書き残し、ツタンカーメンの呪いを信じた。
ツタンカーメンの呪いとは?
ツタンカーメン王墓発見からわずか5か月後の1923年4月5日に、発掘スポーンサーだったカーナヴォン伯爵が死去
伯爵の死と同時刻にカイロで大停電が起きた。
発掘関係者たちが次々と不可解な死をとげ、22人以上の犠牲者がで出た。
カーターの飼っていたカナリアが発掘現場でコブラに飲み込まれた。カーターがこのカナリアを飼い始めた年にツタンカーメン王墓を発見し、発掘関係者はラッキーなカナリアだと大切にしていたため、呪いだと恐れられた。
ツタンカーメン王墓の入り口の碑文には、「墓を荒らした者に死を与える」と書かれており、これはツタンカーメンの呪いだと恐れられた。
シャーロックホームズの作者コナン・ドイルは、死の原因は墓を守る神官が作り出した魂でも霊体でもない、謎のエレメントのせいだと書き残し、ツタンカーメンの呪いを信じた。
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ツタンカーメンの呪いでカーナヴォン伯爵は死んだのか?
コナン・ドイルが書き残したように、ツタンカーメン王墓を守る神官が作りだした謎のエレメントなのでしょうか?
実は、カーナヴォン伯爵の死の原因は頬を蚊に刺されたことでした。高齢でエジプトの暑さで体が弱っていたこともありこれが大変な病気に繋がりました。髭を剃る際に蚊に刺された部分を誤って切ってしまい傷口がひどく化膿してしまいました。それが原因で高熱が出で体力が衰弱し、肺炎を併発しました。カイロの病院に運び込まれましたが、手遅れでした。しかも、カーナヴォン伯爵はツタンカーメン王墓が発見される前からもともと健康状態が悪く、2度に渡って大きな手術を受けていたといわれています。
ツタンカーメン王墓発掘関係者は呪いで死んだのか?
メトロポリタン美術館の館長ウィンロックが呪いについてしらべ、調査結果を1934年1月26日のニューヨークタイムズ公表しました。
- 墓の公式オープニングに出席した22人のうち死去していたのは6人にすぎなかった。
- 棺を開けた際に立ち会った22人のうち、死去したのはわずか2人。
- ミイラの包帯を取り除いた際には10人いたが、誰一人として死んでいなかった。
- 死去した関係者を調べるといずれも高齢だったか、持病を持っていた。
- よって呪いではない。
出生 | 発掘当時の年齢 | 死亡 | 死亡年齢 | |
Carnarvon(Lord) | 1866 | 57 | 1923 | 57 |
Garstin(Sir.Wm.) | 1849 | 74 | 1926 | 77 |
Mace(Arthur C.) | 1874 | 49 | 1928 | 54 |
Herbert (Mervyn) | 1882 | 41 | 1930 | 48 |
Bethell (Richard) | 1883 | 40 | 1931 | 48 |
Cust (Sir Charles) | 1864 | 59 | 1932 | 68 |
ツタンカーメン王墓の入り口の呪いの碑文
ツタンカーメン王墓の入り口には、「墓を荒らした者に死を与える」という碑文があったと言われるが、実はそんな碑文はなかったそうです。ただ、他の王墓のいくつかには、中に入ると災いがおきるという碑文が見つかっています。墓泥棒が怖がって副葬品を盗まないように書かれたものです。マスコミによって、他の王墓の碑文がツタンカーメン王墓にあったことにされたというのが事の真相です。
ツタンカーメンの呪いの捏造者とは?
ツタンカーメンの呪いを捏造したのは、ハワード・カーターのライバルであったイギリス人考古学者のアーサー・ウェイゴールです。アーサー・ウェイゴールはかつて、ハワード・カーターと共に働く同僚でしたが、ハワード・カーターがツタンカーメン王墓の発見という世紀の大発見を成し遂げると2人の差は開く一方でした。アーサー・ウェイゴールはタブロイド紙デイリーメールの記者として雇われ、ライバルの華やかな活躍を尻目にツタンカーメン王墓の発掘現場から届くニュースを記事にまとめることしかできませんでした。
しかもカーナヴォン伯爵はタイムズ紙と独占契約していたため、情報はすべてタイムズに流れます。そのためアーサー・ウェイゴールは記事に書くことがなく、腹立ちまぎれにツタンカーメンの呪いをでっちあげたのです。
ツタンカーメン王墓の発掘情報はすべてタイムズが独占し、他の新聞社はネタに困っていました。そこでアーサー・ウェイゴールを始め、記者が呪いをでっちあげたのです。まさに現代でいうフェイクニュースです。
ミイラの呪いを発明したのはイギリス人
1912年タイタニック号(イギリス客船)がアメリカへの航海中に沈没しましたが、大英博物館が関わるものは呪われるという伝説の「不幸のミイラ」をアメリカ人に売却するためにミイラをのせていました。しかしタイタニック号が沈没したためミイラは失われ、棺のフタだけが残っています。
こちらも実はフェイクニュースで、今も大英博物館に「不幸のミイラ」は展示されています。
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