京都市内を北から南へと流れる鴨川の上流域にある上賀茂神社と下鴨神社は、元は1つの神社で奈良時代に分立しましたが、2つの神社を総称して「賀茂神社(賀茂社)」と呼ばれる京都で最古級の神社です。下鴨神社とともに毎年5月15日に行われる「葵祭」(正式名称は賀茂祭)は、祇園祭、時代祭とあわせて「京都三大祭り」の一つに数えられるほど有名です。
今回は、上賀茂神社についてひも解いていきましょう!
上賀茂神社の御祭神「賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)」に関する神話とは?
『釈日本紀(しゃくにほんぎ)』に記されていた『山城国風土記』の逸文によると、
今から2600余年前、すなわち神代の昔、賀茂一族の「玉依姫命(たまよりひめのみこと)」が小川(現在の賀茂川の上流)で身を清めているとき、流れてきた丹塗矢(にぬりのや、丹とは赤色の鉱物)を持ち帰ると、矢の霊力によって美しい男神が現れて子どもを授かりました。その御子神(みこがみ)が元服したとき、祝宴で玉依姫命の祖父「建角身命(たけつぬみのみこと)」が、八尋殿(やひろどの)を造り、神々を招き七日七夜祝宴を催し、建角身命が御子神に「父と思う神に盃をすすましめよ」と言うと、御子神は「我が父は天津神(あまつかみ)なり」と答え、盃を天上に向かって投げ、雷鳴とともに天に昇ってしまいました。
残された建角身命と玉依姫命が再び御子に会いたいと乞い願うと、玉依姫命の夢枕に御子が顕れ「吾に逢はんとは、天羽衣、天羽裳を造り、火を炉き鉾を捧げ、又走馬を餝り、奥山の賢木を採りて阿札に立て、種々の綵色を垂で、葵楓の蔓を造り、厳しく餝りて吾をまたば来む」とお告げをしました。そのときの御神託に従って神迎の祭をしたところ、天より神として上賀茂の北にある美しい円錐形をした神山(こうやま)に御子神が賀茂別雷大神としてご降臨されたと伝わっているそうです。
賀茂別雷大神がご降臨された神山というのは、上賀茂神社の本殿の背後北北西に位置する秀峰・神山のことです。天武天皇の時代(白鳳6(677)年)山背国により賀茂神宮が造営され、現在の社殿の基が築かれました。
地元では「上賀茂さん」と親しまれている通称上賀茂神社の正式名称が、賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)というのは、奉られている神様が賀茂別雷大神だからなのですね。
玉依姫命が子どもを授かるお話は、聖母マリアを思い起こすのは、私だけではないのでは!?
上賀茂神社の「賀茂別雷大神」は電気を司る神?
別雷神(わけいかづちのかみ)は、雷の神様「雷神(らいじん)」ではなく、雷を別ける「雷除け」として信仰を集めており、古来から天災の代表的なものだった落雷を除けることから、厄除け、方位除けなどのご利益があると信じられてきたようです。また、雷をコントロールする強大な力が必勝に繋がるとして、勝運と武運長久を願う歴代の天下人や武将が好んで篤く信仰する神社だったようです。
雷から電気が連想されることから現在では、「電気を司る神様」として電力や鉄道、さらに機械やIT関連など幅広い企業の関係者からの参拝があるそうです。
それぞれの時代で神様の御利益を解釈するというのは、とても面白いですね。
上賀茂神社の御神水で淹れたコーヒーって何?
上賀茂神社の境内を流れる神山湧水(御神水)は、御祭神がご降臨された神山のくぐり水のことです。常設お休み処「神山湧水珈琲 煎」では、この神山湧水で淹れた珈琲を楽しめます。コーヒー好きの私は必ず寄りたいスポットです!
また、手水舎で使用されている水は、境内の井戸水と同じ水脈の名水であり、飲料水質基準にも適合しているそうです。参拝の際は、水筒や空のペットボトルを忘れずに持参したいですね!
ちなみに、上賀茂神社には、御手洗川(みたらしがわ・身を清める川)と、御物忌川(おものいがわ・祭器具を清める川)、この二つの川が合流した「ならの小川」の3つの川が流れています。川と川が合流する地点「川合(かわあい)」は気が集中する場所といわれていて、上賀茂神社でも、御手洗川と御物忌川の川合の先に本殿があります。これを知ってしまうと、本殿だけでなく川合にも、必ず立ち寄りたくなります。
上賀茂神社は盛り塩発祥の地?
二の鳥居を入った正面(細殿(拝殿)前)にある左右対称の円すい形に固められた砂は、神山を象ったもので、頂きに三本と二本の松が立てられ、陰と陽の一対になっています。これは「立砂(たてずな)」と呼ばれます。立砂の頂に松が立てられているのは、昔神山から引いてきた松の木を立てて神迎えをしていた名残のようです。
この上賀茂神社の立砂が、鬼門封じや地鎮祭などで盛り塩をしたり、砂や塩をまいたりする風習の起源といわれています。
上賀茂神社の二葉葵の文様は何?
上賀茂神社の社殿は二葉葵の文様が刻まれた金具で飾られています。なぜでしょうか?
神話を思い出してください。賀茂別雷大神のお告げは「私に再会したいのであれば、葵の葉でカズラを編み、祭りをしなさい」というものでしたね。このことから二葉葵が上賀茂神社の御神紋となり、神と人とを結ぶ草として古来より大切に守られてきたようです。だからきっと今でも上賀茂神社の北東の杜には二葉葵が群生しているのですね。
葵は古く「あふひ」と読み、「ひ」とは「神霊」神を意味し、葵とは「神と逢うこと」であり、また「逢う日」でもあるそうです。
加茂社の葵祭でも二葉葵が使われますね。詳しくはこちらのリンクでどうぞ。
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