鬼はどこからきたのか?そして飛鳥時代、平安時代、そして奈良時代の鬼について下記リンク先でひも解いてきました。今回は鎌倉時代以降の鬼について、ひも解いていきましょう!
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鬼は鎌倉時代からバリエーションが増えた!
14世紀の鎌倉時代になると、春日権現験記(14世紀初め)では、屋根の上に真っ赤な体に白いふんどしをつけ、舌を出し家をのぞき込む鬼が描かれています。
融通念仏縁起絵巻には、建物の門の前にぞろぞろ集まる鬼が描かれ、頭に鹿のような角が生えているもの、いくつもの目があるもの、バリエーションも実に様々になっています。
この時代の鬼の正体は、疫病です。目に見えない何かが。人々に襲い掛かり命を奪われる恐怖を鬼の姿で表現しているのです。
しかしこの病を象徴する鬼は、人に災いをなす鬼のほんの一部にすぎません。人間の力を超越したものを、日本人は神と呼び、そして鬼もその一種です。鬼はものすごく強い過剰な力、コントロールできないようなエネルギー、それらを表現するときの言葉でもあります。鬼の正体は摩訶不思議、よくわからないものをが、鬼なのです。
この時代に描かれた鬼は、仏教の地獄にいる馬頭鬼(めずき)や牛頭鬼(ごずき)の姿が影響していると考えられます。イメージが豊にふくらんできたのですね。
室町時代の鬼
平安時代にも目撃情報が相次いだ不気味で曰くありげな百鬼夜行ですが、あまりこのようなイメージをする方はいらっしゃらないのではないでしょうか?室町時代に制作された百鬼夜行絵巻が、私たちがイメージするユニークなものかと思います。このイメージは、室町時代以降のものです。
一条通りは夜中に妖怪たちが大行列をするという百鬼夜行の通り道でした。この百鬼夜行の妖怪の中に、人間の使う道具が変化したものが現れます。調理道具の釜、古くなって捨てられた釜が火を噴いて怒りをあらわしています。履物の下駄、下駄が変化し女性の顔になりあざけ笑うなど、日常の道具が妖怪になりました。正体は打ち捨てられた古道具に魂が宿った付喪神(つくもがみ)です。
この背景には室町時代は商工業が非常に盛んになり、商人の力も増し祇園祭も大きくなっていった時期です。新しい物がたくさん作られ、古いものが捨てられるようになりました。捨てられた物は、大事に使ってほしかったと非常に怒るようになるという絵となったのです。物を粗末にすると化けて出る、物は大切にしないといけないというのが、この千年前からの言い伝えです。
またこれは、かつては貴族を脅かしていた魔界のものでしたが、生活道具が変化した妖怪があらわれたことは、庶民にとっても異界という存在が身近なものになっていたことを示しています。これまで貴族が行っていたお札を貼る、鬼門除けをつくるなどといった行為が、この頃から庶民も取り入れるようになっていったのです。
平安時代のこわ~い百鬼夜行については、下記リンクでお読みください。
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戦国時代から江戸時代の鬼
時代の変化と共に、鬼は次第にその姿も性質も変えていきました。戦国時代の領地争いであらゆる土地が支配下におかれ、さらに江戸時代に人を支配する体制が固まりました。かつて特殊な技能を持ちながら、鬼とみなされた人々もこの流れに取り込まれていったのです。
さらに木版印刷技術が発達し、絵本(絵入りの本)などが量産され、鬼のイメージもわかりやすくなっていきました。。江戸中期(1781年)に出版された「桃太郎一代記」の鬼の姿は、虎のふんどしを身に着け、角があり、手には金棒を持っている、私たちが思い浮かべる姿です。なぜ、そんな姿になったのかについては、下記リンク先でひも解いています。
鬼門は異界への入り口!?お化けや幽霊が丑の刻に現れる理由は鬼門にあった!
かつてその姿も定まらず、すさまじい力で人々を恐れさせた鬼は、恐怖の対象ではなくなりました。目に見えるということで、多少安心すると同時に、これ以上負けない敵対心を持つようになりました。見せることで人々に安心感を与えると同時に敵対心を燃やす。鬼もそいういうイメージでキャラクター化していきました。そして、能や浄瑠璃など芸能の中でも生き続けました。
「形は鬼なれども、心は人なるがゆえに」世阿弥の言葉です。
鬼になってしまった悲しい人、つらい人の気持ちを演じる方も感じながら、ただ鬼退治で悪者をやっつけてめでたいめでたいというだけではなく、そうではない部分(悲しい人やつらい人の気持ち)が見え隠れするというのが、鬼の能が伝わってきた一つの魅力なのではないかと考えられています。
鬼の悲しい伝説は、下記リンクでご説明しています。
江戸時代の鬼の代わりに現れた怖いものとは?
そして、江戸時代になると鬼の話は酒呑童子などのリメイク版ばかりで、新しい怖いものは『四谷怪談』など幽霊の話になります。江戸時代には鬼がキャラクター化していきました。
『桃太郎』には、チャンスの本質が描かれている!?
堀江貴文さんが『お金や人脈、学歴はいらない!情報だけ武器にしろ。(ポプラ新書169)』で、おもしろいことを書いていらっしゃいました。
「桃太郎」の昔話がある。おばあさんは、川に洗濯に行き、流れてきた大きな桃に飛びついて、家に持ち帰って割ってみる。すると、男の子が飛び出してくる、という話だ。
僕はチャンスの本質は、これだと思う。
多くの人は巨大な桃が流れてきたら、驚いたり、様子を見たりして、基本スルーだ。ところがおばあさんは平然と持ち帰る。桃から生まれた桃太郎は鬼退治に出かけ、宝物をおばあさんとおじいさんに渡す。
運を味方につけられる人というのは、このおばあさんのように「これだ!」というものが出てきたら一も二もなく飛びつく。
(中略)
では、自分の目の前にあるものが「桃」か」どうかをどうやって見わければいいのだろうか。結局それは、「自分が熱狂できるかどうか」で判断するしかないだろう。
情報を武器にする方法———————————————-
川から「桃」が流れてきたら、それはあなたにとってのチャンスである。つかまない手はない。
まさに、おばあさんは、川に選択に行ったのですね(笑)。昔話や童話から、「正直であれ」といった道徳的なことを学べると思っていた私にとっては目からウロコです。現代社会は、金棒ではなく、桃が武器となるようです。おばあさん最強ですね。
この桃太郎のお話に興味を持っていただいた方に、おススメの記事が、脳科学者、ミステリー小説家、勝負師や経営者が考える「直観」について書いた記事です。下記リンク先からぜひ!
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