鬼は人の悲しみ・悔しさを表し,鬼は神として祀られる!? 人はなぜ鬼になるのか?- 日本人1500年の闇-

この世が変わると鬼も変わり、世の中が鬼によって見えてきます。日本人の1500年に渡る闇の物語を、下記リンク先でひも解いてきました。今回は、現在までさまざまな形で残っている鬼、そしてなぜ人が鬼になるのか?についてひも解いていきましょう。

鬼はどこからきたのか?そして飛鳥時代、平安時代、そして奈良時代の鬼について

鬼はどこから来て、どこに行くのか?酒呑童子は、最澄に比叡山から追い出された!?

鎌倉時代以降の鬼について

鬼は鎌倉時代にバリエーションが増え、室町時代から江戸時代にキャラクター化した!?

鬼は今なお地方の信仰の中に生きている

青森県弘前市には、鬼神社があります。この地域は、鬼のおかげでたくさん米がとれるようになって栄えたので、鬼を神様として祀っているのです。昔水不足で困っている村人たちを助けるために鬼が掘ってくれたものだという鬼神堰(きじんぜき)があります。鬼は、山奥に水源をみつけだし、村まで長さ8kmの水路をわずか1日で掘ったと伝わっています。日本の信仰は祀ることで、プラスになったり、祀らないとマイナスになる面を持っていますね。

また、京都の八瀬という場所には、鬼の子孫と言われる八瀬童子(やせどうじ)がいます。八瀬童子の方々は、昔天皇は亡くなったとき棺を担いだ人々で、一種の特別な家系の人々なのです。


今昔物語に出てくる鬼

平安時代は、華やかな貴族文化が花開いた京の都です。しかし、そこは幾多の鬼がうごめく魔界都市でもありました。平安末期に書かれたといわれる今昔物語集。この中に歌人として名高い都きってのプレイボーイ在原業平が描かれています。在原業平が、都随一の美貌と噂の娘を親の目を盗みまんまと連れ出すことに成功し、都のはずれの山荘の蔵へに連れ込みました。そのとき怪しい雷がなり、危険な気配に在原業平は太刀を抜きました。やがて夜が明け、在原業平は娘に声をかけましたが返事がありません。振り返った在原業平が見たもの、頭と着物のみです。体は何者かに奪われていました。倉に住む鬼の仕業なのでしょうか?


蜻蛉日記(かげろうにっき)に出てくる鬼

平安時代中期に貴族の女性によって書かれた蜻蛉日記(かげろうにっき)は、浮気を繰り返す夫との生活を、せきららに綴った日記です。夜中に突然自分の元に戻ってきた夫、何事もないかのように振舞う夫に作者の女性は疑いを抱きます。

私のなかに心のおにが生まれ、ふと疑わしくなり「もしかして、あの女の所で、差し障りがあって帰されたのではないか」。あの人はさりげない様子だったが、私は許すことができないまま夜を明かした。

「心のおに」夫が私をだましているとしたら許せない、でも怒りをぶつけることもできません。心に生まれた疑いを「おに」と記したのです。そして心のなかに生まれたおには、やがて自分、その人自身も鬼へと変えていくのです。

闇は自分の外にあると思い込んでいますが、闇は自分(あなた)の中にもあります。そこで鬼は生まれ栄養を吸って成長し、やがて自分(あなた)を乗っ取ってしまうのです。鬼が生まれる場所、それはあなたの心でもあります。


悲しい女の鬼の伝説

京都府南部を流れる京都府宇治市宇治川に伝わる鬼の伝承が「宇治の橋姫」

平安時代中期、都に住む仲睦まじい公家の夫婦がいました。ところが、夫は妻に内緒で別の女のもとに通っていたのです。妻は夫を責め立てましたが、夫は言い逃ればかりです。夫の帰りを願い待ち続ける妻は、やがて意を決して貴船神社に向かいます。そこで女が掛けた願いとは「恨みを晴らしたい、生きながら鬼にしてください。」というものです。神からのお告げをきいた女は、紙をつぼの形につくり、逆さにかぶった五徳の足にたいまつを立てます。その姿で今度は宇治川へ行き、お告げ通り21日間も水に浸かり続けたのです。そしてついに、女は願い通り鬼になりました。その名も橋姫です。恨みを晴らすべく夫のもとへ行き、夫の命を奪おうとしましたは、そのとき現れた神々に邪魔され、思いを果たせぬまま宇治川の流れに姿を消していきます。最後に残した言葉は「私を弔ってほしい」というものでした。男の身勝手なふるまいに、鬼になるしかなかった橋姫。本来純粋に願いをかなえる儀式であった丑の刻(うしのとき)参りは、やがて同じ思いの女性たちによって、復讐の手段として考えられるようになったといいます。

貴船神社について詳しくは下記リンクをご覧ください。

貴船神社は呪いで有名なパワースポット!?なぜ貴船神社が絵馬発祥の地なのか?そして貴船神社 奥宮で発祥した丑の刻参りとは本来どのようなものなのか?


人食い鬼婆(おにばば)伝説

福島県の二本松市観世寺(かんぜじ)の敷地には異様な形の岩があります。かつて、この中に住んでいたといわれるのが人食い鬼婆(おにばば)です。今でも鬼婆が使っていたといわれる出刃包丁が寺に残っています。その出刃包丁で旅人を殺しては、その肉を食べていたという伝説がの残っています。

もともとこの女性は岩手(いわて)という名前の普通の母親でした。しかし岩手はある理由で生まれる前の赤ん坊の生き胆を十数年も探し続けていました。ある日のこと、旅の若い夫婦が岩手に宿を求めてきました。妻は子を身ごもっています。それを見たとき岩手は、これでようやく赤ん坊の生き胆が手に入ると思いました。そして、その夜急に女は産づき、夫は産婆を探しに出かけました。そこで岩手は女の腹を裂き、胎児の生き胆を抜き取ったのです。ところが女が身に着けていたお守り、それは岩手が十数年前、生き胆を探す旅に出るときに自分の娘に残したものでした。岩手は我が子を殺ししてしまったのです。

岩手は、この十数年前京都の公家屋敷に乳母として奉公していました。仕えていた姫が声を出せない病に侵さ、主君が占い師に尋ねたところ「姫の病気を治すには、赤ん坊の生き胆が必要だ」と告げられました。岩手は主君から「赤ん坊の生き胆を手に入れろ」と命令され、なんと恐ろしいとだと思いながらも、主の命ならやむをえません。岩手は、まだ幼い自分の娘を置いて、赤ん坊の生き胆を探す旅に出たのです。主君の理不尽の命令に従うしかなかった岩手、その結果自分の娘を殺すことになったのです。そして岩手は人食い鬼婆となり果てました。

「児干という薬(胎児の肝)」という言葉が、今昔物語集にも残されているので、鬼婆だから赤ん坊の生き胆を入手しようとしたというわけではありません。封建社会は主従関係が親子関係に勝つ時代でした。

女が鬼になるのは、時代の矛盾に追い詰められた女性たちの悲しい叫びなのです。


人はなぜ鬼になるのか?

鬼になるのは女性という伝承が圧倒的に多いです。それは女性が「わきまえないといけない時代」だったため、鬼になるしかなかったのです。復讐をするにしても、自分の意思を通すには鬼になる、あるいは人間以外のものになるしかない、ということを表しているのではないかしょうか。

男性の鬼の場合、酒呑童子のように国家を相手にして挑戦するようなイメージで語られることが多いです。しかし、女性の場合は身近なところ、人間関係、家庭内における矛盾から逃れられないのです。虐げられた心をどう発散したらいいのか、その時は鬼になるしかないということです。江戸時代は幽霊になることが多いのですが、それ以前は鬼になることが最後の抵抗でした。

鬼になることは人間を超えることです。弱い立場の人間が、鬼になることで強い立場になれるのです。理不尽なことに耐えたものが鬼になるのです。

鬼には2つのタイプがあると思われます。

タイプ1:自分が理解できない人々を恐ろしい鬼だと想像したもの

タイプ2:弱い立場の女性の心の悲鳴が人を鬼に追い詰めてしまったもの

 

しかし。鬼の心を抱えて人間の顔をしている、そういうものがたくさんいる、それが一番怖いのではないでしょうか。


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