天ぷらの起源とは?天ぷらは江戸の名物料理だった?天ぷらは屋台料理?チャップリンは天ぷら好き?

外国人にも人気の日本食の代表格天ぷらですが、天ぷら人気は外国人にだけではないのです。ひと昔前までは天ぷらといえば、高級なイメージがありましたが、実はいまカジュアルなグルメとして進化しているのです!そのブームの立役者が、従来のイメージを大きく超える進化系の天ぷらが続々と登場しています。

今人気の天ぷらの歴史をひも解いてみましょう。

天ぷらの起源とは?

今の日本の天ぷらの起源とされる料理が伝わったのは、安土・桃山時代頃にポルトガルからやってきたと言われています。天ぷらという言葉の語源も、ポルトガル語の調理を意味するtempero(テンペーロ)と言われています。


天ぷらは江戸の名物料理だった?

江戸時代び入り江戸の庶民の間で大ヒットし、寿司やそばと並び江戸の名物料理として知られるようになりました。しかし江戸を代表するグルメである天ぷらですが、当時の食べ方は今とはかなり違っていました。江戸時代後期には、串に刺したのを屋台で買って立ち食いというのが、当時の定番スタイルでした。このようなスタイルになった理由は色々ありましたが、大きな理由の一つに、火事を防ぐためでした。江戸時代人々の生活を脅かす一番の敵が火事と言われていたため、大量の油が入った鍋を火にかける天ぷらは屋内での調理が禁止されており、外の屋台で提供されるのが一般的でした。そこから外でも手軽に食べれるように、串に刺すスタイルが生まれたと考えられます。食べ歩きグルメの先駆けと言えるかもしれませんね。


チャップリンは天ぷらで命拾いした?!

チャップリンは1932年5月14日に来日し、翌日の5月15日に首相官邸での晩餐会に参加する予定でした。しかし1932年5月15日は五・一五事件(海軍の青年将校やらが首相官邸や警視庁などを襲撃した事件)が起き、一緒に食事をする予定であった犬養毅首相が暗殺されました。そしてクーデターを企てたグループは、首相もチャップリンも暗殺しようと計画していました。

ところがチャップリンはこの晩餐会をキャンセルして天ぷら屋に行き、晩餐会には行かなかったのだそうです(相撲に行っていたとか、相撲に行ったあと天ぷら屋に行ったなど諸説あり)。チャップリンは来日初日に天ぷらにハマって、毎日行くと言って3日連続で天ぷら屋に行っていたのだそうです。ある天ぷら屋に、海老天だけを36本食べたという記録が残っているのだそうです。


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