ピラミッドは墓じゃない!?ピラミッドは何か?エジプト発掘はいくらかかる?クフ王の墓はどこにある?吉村作治先生とは?

ナイル川の恵に支えられ発展した古代エジプト文明は、約5000年前に国家を形成しました。その高度な文明は、ピラミッドや王家の谷、ピエログリフ(古代文字)を通じて世界的に有名です。そんな人類の歴史を肌で感じられるエジプトは年間1500万人の観光客が訪れる旅人憧れの場所です。そしてこの歴史ある国で発見された世界最高峰の宝が、およそ100年前に発掘されたツタンカーメンの黄金マスクです。およそ3500年前に造られたこのマスクに値段をつけるならば、300兆円以上と言われています。

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そんな規格外のお宝が眠る国エジプトで約60年近く発掘を行っているのがエジプト考古学者の吉村作治先生(東日本国際大学 総長)です。なんとエジプト(ギザ)で発掘権を取れる日本人は吉村作治先生だけなのだそう!吉村作治先生は、1974年発見の「彩色階段」や2005年に発掘した完全ミイラ「セヌウ」など、日本人で初めてエジプト(ギザ)での発掘権を取得すると超貴重なお宝を次々と発見しました。現在81歳にしていまだ現役で、年間100日近くエジプトで過ごされるそうなのです!日本にいらっしゃるときは、福島県にある東日本国際大学 総長を務めながら、週12コマ教鞭を執っていらっしゃるのだそう!


吉村作治先生がエジプト考古学者になろうと思ったきっかけは、いじめでした。いじめに苦しんでいた吉村作治先生が、救いを求めたのが図書室。そこで出会ったのが、あの黄金のマスクを発見したエジプト考古学者 ハワード・カーターの伝記で、暗記するほど読んでいたのだそう。そして吉村作治先生の夢は、世界最大のピラミッドで有名なクフ王の墓を見つけてハワード・カーター先生に報告することなのだそうです。それこそが吉村作治先生が70年間探し続けている宝なのです!

えっ?クフ王の墓って、ピラミッドじゃないの???吉村作治先生はピラミッドは墓であったわけがないというのです!


  1. ピラミッドが墓ではない根拠とは?
      1. 埋葬場所がおかしい
      2. 埋葬室(王の間)がおかしい
      3. 石棺がおかしい
  2. ピラミッドは何のために作られたのか?
  3. クフ王の墓はどこにある?
  4. エジプトお宝発掘のお金事情とは?
      1. 貴重な発見をした後の報酬は?
  5. 吉村作治先生のお宝発見力とは?
      1. エジプトへの異常な執念
      2. 吉村作治先生の発掘実績とは?
          1. 吉村作治先生は27歳のとき東洋人として初めてエジプト考古庁から遺跡の発掘権を取得。発掘権を取得すると発掘権料を支払う必要があり、かつ1年に1か月以上掘らないといけないという決まりがある。なお、1か月の採掘に掛かる費用は、約1000万円。
          2. 1974年に吉村作治先生が発見した魚の丘遺跡 彩色階段は、約3500年前アメンホテプ3世の儀式に使われた建物の一部(彩色画が施された20段の階段)で、この発見は世界中で注目されエジプト発掘界で日本が認められるきっかけになった
          3. 未盗掘墓を4つも発見!未盗掘墓とは、発掘時点まで誰にも侵入されていない墓で、エジプトの墓は約99%が数千年の間に盗掘されているが、だいたい埋葬したその年(埋葬されたことを知っている人がいる時代のうちに)に盗掘されてしまう(紀元前3000年以前~古代エジプト)。その後もローマ時代(紀元前700年代~)、アラブ時代(600年代~)、ナポレオンのエジプト占領(1700年代~)、冒険家や旅行者、盗掘組織など(1800年代~)とこれらを逃れて、今なお未盗掘というの墓はなかなかない。
  6. 吉村作治先生の結婚歴とは?

ピラミッドが墓ではない根拠とは?

約130基ピラミッドが発見されていますが、過去に王のミイラは発見例はなく、盗掘されてしまったと言われています。しかし吉村作治先生は、そもそもピラミッドは王の墓ではないといます。誰が言い出したか分かればその人を論破すれば済みますが、誰が言い出したからわからないから定説になったのです。定説はインチキが多いのだそうです。

埋葬場所がおかしい

吉村作治先生は、お墓が宙に浮いているのはおかしいと言います。クフ王のピラミッド内部の石棺が置かれている場所(王の間)は、地上約50mの場所にあります。過去に地上で王の墓は発見されていないのです。例えばツタンカーメン王の墓は王家の谷にあり、ミイラが入った石棺が置かれていたのは地下7mの場所でした。


埋葬室(王の間)がおかしい

エジプトの埋葬室・お墓は、色々な絵が描かれています。ミイラを運ぶ絵、あの世に行く途中の絵、中には命を請け負う妖精がいたり、色々な場面を想定して描かれています。なぜかというと死者が死んであの世へ行く70日間に色々な事が起きたときに、どうやって対処するか全部描かれているのです。それにも関わらず、クフ王のピラミッドの王の間には、何も描かれていません。何も描かれていないということは、墓ではないということなのです。

石棺がおかしい

石棺には石棺らしい模様(やミイラを守るための呪文)があり、必ず誰のものか書かれています。しかしクフ王のピラミッドの王の間にある石棺には何も書かれていません。クフ王の時代はツタンカーメン王に時代よりはるかに栄えていた時代です。だからこそ、クフ王が埋葬されるにはあまりに質素で不自然なのです。

さらに石棺のサイズがおかしいのです。古代エジプトでは生前の姿をした人型棺(ひとがたかん)に入れます。もしクフ王のピラミッドの王の間にある石の箱が石棺なら、あの中に人型棺が二重にも三重にも入っていないとおかしいのです。

ツタンカーメンの棺の石棺の大きさは、長さ約2m75cm、幅約1m50cm、深さ約1m50cmありますが、クフ王のピラミッドの王の間にある石棺は長さ約2m30cm、幅約1m、深さ約90smであり、ツタンカーメンの石棺にすっぽりと収まるサイズなのです。


ピラミッドは何のために作られたのか?

ピラミッドはエジプトに100以上存在し、その中で最も有名なのがギザの3大ピラミッドです。これは今からおよそ4000年以上前に3人の王(クフ王、カフラー王、メンカウラー王)によって建設されたものです。その中でもっとも有名かつ最大なのが、クフ王のピラミッドで、高さ約147m、底辺約230mにおよび、300万個の石が積み上げられ、総重量600万トンを誇る古代最大の建造物です。この巨大な建造物は一体何のために作られたのか?

吉村作治先生の見解は、宗教施設の一つということです。日本のお墓にも墓が下にあり、その上に墓石がる、その他にも五重塔や色々なものがある、そのような宗教儀式の場所だというのです。


クフ王の墓はどこにある?

では、クフ王の墓はどこにあるのでしょうか?吉村作治先生は、クフ王のピラミッドの西側にあるクフ王に仕えていた貴族が眠る西部墓地にあるのではないかと考えています。この西部墓地には4500年もの間、発掘の手が加わっていない空き地があるのです。古代エジプトは、下に何かを作った時に、上に違う建物を建てて隠そうとすることがあります。地上に何もないということは地下に何もないという発想で、今まで発掘が行われてきませんでした。吉村作治先生の推論をもとに2016年に調査を開始すると、地上波レーダーの調査で地下2mに構造物らしき反応があったのです!

そしてついに発掘の申請から20年、2023年12月に西部墓地の発掘が開始されました!クフ王と同じ古王国時代のものと推測される礼拝用の盃など土器が発見されています。しかし日差しが強いエジプトでの発掘作業ができるのは朝8時から12時30分まで、さらに貴重な資料は破壊しないように丁寧にゆっくり掘っていくのです。吉村作治先生は自ら作業を進めていく考古学者でしたが、10年前に発掘中に左ひざを複雑骨折してしまい、ここ数年は自由な歩行が困難な状態です。現在も懸命にリハビリを行っているものの、足場の悪い発掘現場(砂場)を歩くのは危険と判断され、隊員たちに止められているようです。ちなみに現在81歳の吉村作治先生は、発掘作業、復元作業や研究などエジプトで8つのプロジェクトを同時に行っているので、発掘作業だけでなくやることはたくさんあるようです・・・

発掘作業で建造物を見つけた際に、墓を裏付ける目印が「偽扉(ぎひ)」です。偽扉は王族が貴族の墓に造られた使者の魂が通る開くことはない扉で、そこに向かって拝むのです。そこには使者の名前や役職などがわかる文字が刻まれていることもあり、つまり偽扉があると墓であることが確定し、死者が誰かわかるのです。

そしてその偽扉が、発掘現場で発見されました。しかも偽扉に文字が刻んでいない例が多いなか、偽扉に文字が刻んであり、王に仕えた執事親子の墓である可能性があるようです。そして単純埋葬(他の人の墓の隙間に穴を掘りそこに埋葬すること)された人骨も発見されました。つまりマスタバ(墓地)を作るほどお金はないが、ちゃんと埋葬しないといけない位の人物が埋葬されていることがわかりました。クフ王の執事(側近)である可能性もでてきました。もしそうならば、王の墓の上に、盗掘されないように家来の墓がつくられることも珍しくないため、この下にクフ王の墓があるかもしれないのです!


エジプトお宝発掘のお金事情とは?

エジプト発掘で重要なポイントが、お金です。調査・発掘にかかる費用はもちろんのこと、隊員のお給料なども含めると、吉村隊の活動費は年間1億円以上です。吉村作治先生が今までエジプト調査・発掘に使用した費用は、なんと125億円!この莫大な費用を工面するのも吉村作治先生です。

125億円のうち吉村先生は、書籍の出版(350冊)、講演、クラウドファンディング、グッズ販売などで約30億円稼いだのだそうです(残りの95億円が国の研究費やスポンサーの寄付)。一時テレビによくご出演されていたのも、有名になり講演依頼をもらうためだったようです。

貴重な発見をした後の報酬は?

現在は廃止されていますが、以前は発掘者は半分発掘品を分配してもらえる仕組みがありました。分配委員会といい、テーブルに発掘品をならべ選べました。しかし、村村作治先生は1回目は分配してもらいましたが、エジプトの物はエジプト人の物だと思い以降は、発掘の分配を拒否したのだそうです。吉村作治先生が発掘した品は、エジプトの博物館にあり、「Discovered by Japanese mission」と書かれているのみで、吉村作治先生の名前は記載されていません。

吉村作治先生は、お金のためでも、名誉のためでもなく、自分が満足するために発掘を今なお続けているのです。貴重な品を発見したときはやはり、うれしいのだそうです。



吉村作治先生のお宝発見力とは?

エジプトへの異常な執念

吉村作治先生が早稲田大学1年生のときに初めてエジプトを目指したときのこと。

吉村作治先生が早稲田大学に入学したとき参加したコンパで「印刷会社の課長になる!」「版画の展展覧会を開く!」など皆が将来の夢を語りあったそうなのですが、吉村作治先生は「君達は本当に小さいね、こんな小さい奴らじゃ日本はダメだ」と発言。隣にいた子に「「じゃあ、吉村君は何が目標だ?」と聞かれたので「エジプトに行って日本のエジプト考古学を世界一にしてみせる!」と発言。しかし当時早稲田大学には考古学専攻は無く「早稲田に学部ないのに出来るわけないだろ」と言われてしまいます。しかし吉村作治先生は「ないからいいんだろ、あるものやってもしょうがないだろ。」と諦めずに熱弁をふるいました。すると、クラス30人中20人が「吉村君いつそれをやるんだ?」「連れて行ってくれ」と言ってきたので、吉村作治先生は「エジプト研究会」というサークル(調査隊)を結成したのです。そして吉村作治先生は「みんなエジプト行こうぜ」と言い、エジプトに行くお金を集めるため、勉強会ではなく皆でアルバイトして資金作りをしたのです。当時喫茶店のアルバイトの時給が80円のなか、なんと800万円集めたのです!

そのお金を元にタンカー船やヒッチハイクを駆使し、2か月かけ念願のエジプトへ行きました。エジプトにはサークルメンバー35人中5人で行き、調査のためエジプトに半年間滞在しました。


吉村作治先生の発掘実績とは?

ルクソールの貴族墓地から約200体のミイラを発見(1982年)、クフ王のピラミッド内部で未知の空間・南側に巨大な空間(木造の大型船 太陽の船)を発見(1987年)、ラムセス2世第4王子の葬祭殿を発見(1991年)、ツタンカーメン王側近の墓を発見(1996年)、ツタンカーメン王の銘が刻まれた指輪を発見(1997年)、高官メスの石棺発見(1998年)、クフ王の銘入りのライオン像発見(2001年)、エジプト最古級の石積遺構発見(2002年)、ヒクソス時代の集団埋葬発見(2003年)、夕の墓発見(2004年)、青いマスクを被ったセヌウ(約3800年前に活躍した行政官)のミイラ(未盗掘の完全ミイラ!)発見(2005年)、夫婦のミイラ・親子のミイラを発見(2007年)、ラムセス朝期の黒色二十木棺発見(2008年)、王女イシスネフェルトの墓発見(2009年)、コンスウエムへプの岩窟墓発見(2013年)、中王国時代の大型墓・祭具群発見(2019年)、中王国時代の木棺発見(2022年)


ポイント

吉村作治先生は27歳のとき東洋人として初めてエジプト考古庁から遺跡の発掘権を取得。発掘権を取得すると発掘権料を支払う必要があり、かつ1年に1か月以上掘らないといけないという決まりがある。なお、1か月の採掘に掛かる費用は、約1000万円。
1974年に吉村作治先生が発見した魚の丘遺跡 彩色階段は、約3500年前アメンホテプ3世の儀式に使われた建物の一部(彩色画が施された20段の階段)で、この発見は世界中で注目されエジプト発掘界で日本が認められるきっかけになった
未盗掘墓を4つも発見!未盗掘墓とは、発掘時点まで誰にも侵入されていない墓で、エジプトの墓は約99%が数千年の間に盗掘されているが、だいたい埋葬したその年(埋葬されたことを知っている人がいる時代のうちに)に盗掘されてしまう(紀元前3000年以前~古代エジプト)。その後もローマ時代(紀元前700年代~)、アラブ時代(600年代~)、ナポレオンのエジプト占領(1700年代~)、冒険家や旅行者、盗掘組織など(1800年代~)とこれらを逃れて、今なお未盗掘というの墓はなかなかない。



吉村作治先生の結婚歴とは?

吉村作治先生は、本気で学問やりたかったら、結婚なんかしちゃだめと言いますが、一度エジプト人女性とご結婚されています。

出会いは調査中に宿泊した宿でした。宿を営むご夫婦には7人の娘がおり、その中の一番かわいい子が皆で「いい子だね」と言っていたそうですが、吉村作治先生は興味がなかったそうです。しかし8か月滞在し帰国する前日に、その娘さんに「I want to marry you」と言われ結婚したのだそうです。さらにこのときイスラム教に入信しました。

しかし大のエジプト好きの吉村作治さんにとっても文化の壁はあつかったようで、考え方が全然違うとおっしゃっています。とくに問題となったのが、豚肉(イスラム教ではNG)チャーシュー入りラーメン・・・10年で離婚されたのだそうです。ちなみに、吉村作治先生が、結婚して一番いやだったことは、「今日何時に帰ってくる?」という質問だったようで、「大きなお世話」とおっしゃっていました。どうやら「私を取るんですか?発掘を取るんですか?」って「当然発掘だよ」って言ったのが、離婚のきっかけのようです。



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