鬼門は異界への入り口、鬼門封じはどのようにするのか?現在も見られる京都の鬼門封じとは?お化けや幽霊が丑の刻に現れる理由は鬼門にあった!

鬼門という言葉をよく耳にしますよね。この鬼門とは一体何なのかについて、ひも解いていきましょう!

鬼門・裏鬼門とは何か?

鬼門・裏鬼門とは、異界に住む鬼や邪悪なものが、この世にあらわれる入口です。家などの建物の北東角(ほくとうかど)が鬼門で、南西角(なんぜいかど)が裏鬼門であり、ここから鬼や邪悪なものが出入りするのです。


異界とは?

「あの世」という言葉に近い意味かもしれませんが、「あの世」というと死んだ人が行く世界を意味することが多いですが、「異界」の場合はもう少し広く神様や妖怪などが存在する世界で、生きていって帰ってくることができるような世界を指します。人間の日常生活の外の世界で、神、怨霊や鬼などが存在するとされていた世界のことです。

鬼門封じとは?

家などの建物の北東角(ほくとうかど)と、南西角(なんぜいかど)の角をなくしたのが「かけ」(へこました)と呼ばれるものです。角がなければ鬼や邪悪なものが出入りする鬼門も裏鬼門もなくなると考えたのです。

「かけ」以外にも四角い結界に玉砂利を敷いて鬼や邪悪なものを封じることも多いのです。鬼門は汚してはいけないといわれ、鬼門は清浄に保つのが大事です。盛り塩で清めることもあります。

鬼や邪悪なものが出入りする鬼門も裏鬼門も大事にするものなのですね。


鬼門封じ 現在の京都では?

現在の京都の三条通でも鬼門封じ(かけに玉砂利が敷かれていたり、盛り塩で清めている)が見られます。近くに鬼や邪悪なものがいる、だからきちんとしないといけないと京都の人は考えるのです。

また、京町屋重要文化財 杉本家住宅(京都市下京区)の裏鬼門にあたる堀の南西角を切った(角をなくした)「鬼門封じ」がありますし、かつて天皇のお住まいだった京都御所の北東角を切って鬼門を封じた「猿が辻」があります。

京都御所では、猿が辻にはセンサーもつけて最新の対策をしています!


鬼門対策の1つ四神相応とは?

平安京ができ京都の町が出来た頃の人々は、異界や鬼や邪悪なものが身近にあるといつもおびえながら暮らしていました。何事にも裂け目がある隙はある、だから安心安全への備えは怠らなかったのです。

そこで平安京は、中国の都造りと風水を取り入れたのです。そして風水と深く関係のある四神相応(ししんそうおう)といって、神様の動物が都を守ってくれている 東が青龍(せいりゅう)、南が朱雀(すざく)、西が白虎(びゃっこ)、きたが玄武(げんぶ)の4体の神獣(しんじゅう)が平安京を守ってくれていると考えるようになりました。


昔の人が考えた異界や鬼への対策とは?

平安時代の人は、災いの兆し、異界や鬼や邪悪なものはすぐそばに潜むと考えました。災いが入り込む隙はどこにあるのでしょうか?どのようにしたら災いや鬼や邪悪なものの侵入を防ぐことができるのでしょうか?

昔の人は、陰陽道(おんみょうどう)を考え出しました。陰陽道は、天文、暦、呪術や占術などが合わせた当時最新の学問です。

陰陽道では、世界のすべて(時間、方位、物質)は、陰と陽2つの正反対から成り立っていると考え、陰と陽の分かれ目から鬼や邪悪なものが現れると考えます。陰と陽の裂け目は、あいまいで注意が行き届かない場所なので、ここから鬼や邪悪なものが現れるのです。

お化けや幽霊が出やすいタイミングと言われる丑三つ時も、陰と陽の裂け目の鬼門の時間です。丑の刻は、異界とコンタクトしやすくなる時間帯だから、丑の刻参りをした女性が鬼になったなんて伝説も残っているのかもしれないですね。

貴船神社で丑の刻参りをしたと言われる橋姫伝説は、下記リンクでご説明しています。

貴船神社は呪いで有名なパワースポット!?なぜ貴船神社が絵馬発祥の地なのか?そして貴船神社 奥宮で発祥した丑の刻参りとは本来どのようなものなのか?


鬼は江戸時代にキャラクター化した!?

平安時代の人々は、何事にも裂け目と隙がある、安心安全への備えは怠るなと、いつも異界や鬼や邪悪なものにおびえながら暮らしていいました。

しかし、江戸時代になると鬼は、それまではいていた白いふんどしから、虎皮のパンツをはき始めました。鬼門の時間は丑の刻と虎の刻の中間なので、牛の角に虎のふんどしという丑寅(うしとら)となりキャラクター化しました。諸説あるものの、これは油断を戒める仕掛けということのようです。


鬼とは一体何なのか?

鬼はどこから来て、どこに行くのか?酒呑童子は、最澄に比叡山から追い出された!?


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