エクソシストとは、エクソシズム(悪魔祓い)を行う人のことです。またエクソシストは、専門の職業ではなく、訓練を受けた司祭が各地域をまかされているのです。ドラマや映画のフィクションではなく実在します。その歴史は古く、聖ユスティノス(初期キリスト教神学者)の記録によると、1900年前(紀元2世紀)には悪魔との戦いが始まっていたといいます。2014年キリスト教最大の教派カトリック教会のローマ教皇庁が「国際エクソシスト協会」を承認したニュースが話題になりました。現代社会では、オカルト信仰や占いなどが流行し、安易に手を出した結果悪魔に憑かれたと思う人が年々増加しており、そのため正式な訓練を受けたエクソシストが大勢必要となっているというのです。
悪魔祓い(エクソシズム)のやり方とは?
儀式の一つである悪魔祓いを始めるには、教会の厳しいルールがあります。教区のトップである司祭の許可がないと行うことが禁止されているのです。悪魔憑きの症状はリスト化されており、それらの症状がみとめられないと悪魔祓いの司祭からの許可は得られないのです。
悪魔が憑いているかの認定基準
①十字架など神聖なものを怖がり冒涜する
②人のものとは思えない怪力を出す
③本人とは違う声や知らないはずの外国語・古代語で話す
悪魔憑きの可能性もあるが本人の妄想や精神疾患の可能性もあるので、医者の治療を勧めるのが教会の規則です。また憑霊の疑いがあるが病気の可能性も残っているときに、司教区の許可を得て試験的エクソシズムが行われることもあります。それは霊的な命令を声にも動作にも出さずに悪霊を与えてみて、その反応を見るというものです。心の中で「彼女/彼から離れよ!汝の名を言え!」と命じるのです。
祈りと共に十字架をかかげ、聖水・聖油をふりかけ、取り憑いた悪魔が暴れ出し苦しみだしたらその名前を聞き出し、悪魔の正体がわかった後は憑依者の体から追い祓うために祈ります。エクソシスト(悪魔祓いをする人)側も精進潔斎の意味で、断食し祈ります。
なお、現在エクソシストにとって悪魔祓いは最終手段となっており、まず医者に行きなさいと勧めます。その後にどうしても悪魔祓いをしたいという場合は、精神科医、心理学者や医師などを交えたエクソシストのチームを形成し、全員が見ているところで儀式を行います。
エクソシスト(悪魔祓いをする人)とは?
6年以上かけ司祭になった人の中から、エクソシスト希望者が養成講習を受け、実地研修何年もかけてエクソシストになります。バチカンに認められている国際エクソシスト協会には、2016年の段階で約250人のエクソシストが所属しています。
悪魔祓いの実話
ドイツ南部バイエルン州クリンゲンベルクは、広大な丘にブドウの段々畑が広がるワインの産地で、中心街には立派な3つの教会がありカトリック信者が住人の半数を占める人口6000人ほどの小さな街です。1976年7月「悪魔祓いの後女性が死亡」というニュースで、こののどかな町が突如世界の注目を浴びることになりました。映画「エミリー・ローズ」は、この悪魔祓いの実話を元につくられた映画です。
死亡したのは23歳の女性アンネリーゼ・ミシェルで彼女は、地元の中流家庭・厳格なカトリックの家の次女として生まれました。アンネリーゼは、聖母マリアの母である聖女アンナと聖女エリザベトを組み合わせた名前で、優しい性格で成績優秀の自慢の娘だったとアンネリーゼの母アンナ・ミチェルは語っています。
アンネリーゼ・ミシェルに異変が起き始めたのは、16歳(1968年)のときです。はじめは友人といたときに突然立ち眩みのように気を失い、やがて寝ていると何かに体を押さえつけられているかのように体が硬直し呼吸困難になったのです。このような異変が起きる間隔が、半年から3か月とどんどん短くなっていきました。アンネリーゼは母親と共にいくつもの病院で診察を受けましたが、脳波には異常がなく何らかの脳性の発作と診断され薬が処方されましたが、薬が効く気配はありませんでした。そしてアンネリーゼが単なる病気ではないと自覚する出来事が起きました。毎朝6時に熱心に通っていた教会の前に行くと体が教会を拒絶し、毎日の祈りに使うロザリオを引きちぎり、さらに恐ろしい幻覚を観るようになったのです。アンネリーゼだけでなくアンネリーゼの家族や友人にも同じ考えがよぎりました、「これは悪魔の仕業かもしれない・・・」。このことを頼りにしていた医師に相談すると、医師による冗談半分の「神父様に聞いてみたら?」と言う言葉が、アンネリーゼたちの背中を押し悪魔祓いへと導いたのです。そしてアンネリーゼは大学で勉強をし、卒業論文を書き、神父が来ると悪魔祓いを受けるという二重生活が始まったのです。
1975年9月24日からアーノルド・レンツ神父(エクソシスト)とその補佐役エルンスト・アルト神父による悪魔祓いが始まりました。アルト神父は悪魔祓いには精通していませんが、以前からアンネリーゼの相談にのり心の支えになっていた人物です。アンネリーゼへの悪魔祓いは全て教会の規定に基づき行われました。祈りと共に十字架をかかげ、聖水をかけ、取り憑いた悪魔が暴れ出し苦しみだしたらその名前をい聞き出し、悪魔の正体がわかった後は追い祓うために祈ります。アンネリーゼに取り憑いた悪魔(ユダ、ルシファー、カイン、ヒトラー、ネロそしてフライシュマン)はしぶとく、数回の儀式では出ていきませんでした。それどころかアンネリーゼは自傷行為を始めるようになり、自分の顔を殴り、壁に頭をぶつけ、まるで目に見えない力に操られているようだったと言います。暴れる状態が収まると、アンネリーゼは普段の耀い表情にもどりました。そんなときに母親やアルト神父に、悪魔に取り憑かれているとは思えない、喜びの体験を語ったと言います。アンネリーゼの前に聖母マリア様が現れ、聖母マリア様と公園を歩き「司祭たちのため、若者たちのため、そしてあなた方の国のために、犠牲を捧げることが必要です。」と聖母マリア様からのお告げをうけたというのです。自分が苦しむことで、世間の人々が救われる、そうすることによって自分の苦しみに意味を与えられるようになったのです。アンネリーゼは世の人々のため「自分が犠牲になる」と医者の治療をも拒否したと言います。
根気よく1年間にわたり数多く(毎週3回、毎回2時間)の悪魔祓いの儀式が行われ、67回目の悪魔祓いの翌朝1976年7月1日にアンネリーゼは死亡しました。死因は食事をとらなかったことによる餓死で、死亡時は体重わずか31kg、そのうえ体には多数の傷や打撲跡が残っていました。
エクソシストを裁く世界初の裁判!
1977年7月13日に両親と2人の神父が、過失致死の疑いで裁判にかけられました。裁判の舞台になったのが、アンネリーゼの地元クリンゲンベルクから20kmほど離れた人口7万人程の町アシャッフェンブルクにあるアシャッフェンブルク地方裁判所です。
1978年3月30日開廷
裁判長は「これは2人の民間人の裁判であって、2人の神父の裁判ではありません。問題は一般の市民によっる怠慢が人を餓死させたかどうかであって、信仰や悪魔祓いを非難するものではないことを明確に表明します。」と裁判の冒頭で述べました。
医学治療をあきらめ救いを求めたアンネリーゼのため悪魔祓いをおこなった神父や両親に対し、検察側は悪魔祓いこそアンネリーゼを悪魔憑きの自己暗示に誘導したと主張しました。
1978年4月
裁判所は医学側からの鑑定人として、創立600年の伝統ある名門大学病院で精神科医を務めるサテス教授を招きました。サテス教授は、悪魔祓いのときの音声テープを聞き「テープでのアンネリーゼの話し方ですが不自然な印象を受けます。とても単調で文章が短い。何かを話さねばという心理状態に感じます。そう悪魔に支配された人間の役を演じているのです。」と主張し、また「アンネリーゼは初期の頃は発作をともなううつ病であったと思われます。信心深い彼女はそれが罪深いものだと感じ、その恐怖から教会に行けない、悪魔の幻覚という妄想に苦しむようになります。それを後押ししたのが悪魔祓いです。悪魔祓いをすることによって、彼女は自分に悪魔が取り憑いているという妄想を再確認し、すべてを悪化させていくことになったのです。」と言う見解を示しました。裁判長からの「もし悪魔祓いを行わず医者の治療を進めていれば、アンネリーゼは生存していた可能性はありますか?」という質問には「その通りです。」と答えました。また「周囲の人々はアンネリーゼが医学的助けを必要としていることに気づくべきだったと思います。せめて10日前に入院させたら彼女の命は救えたはずです。本人は正常な判断力を失っているのです。たとえ拒否しようと、私なら彼女を精神安定剤で眠らせて強制的に食べさせ、電気ショックを与えてでも治療します。」とも主張しました。
悪魔祓いを許可したヴェルツブルク司教館は、アンネリーゼの死の直後「悪魔祓いは魔法の手段では悪魔を追い出すことではなく、自分自身を支配できなくなった人のためにイエスの名において祈ることです。悪魔祓いは医療に取って代わることはできませんし、精神科の治療がまるで悪であるかのような印象を与える発言は許されません。この件に関する犯罪捜査は国家当局の問題です」と声明を出し、2人の神父を弁護せず、犯罪捜査として司法に任せるという姿勢でした。
1978年4月19日
検察側は、被告人全員に病人の保護を怠り死亡させたとして有罪を求め、2人の神父には罰金を、両親は娘を失うことで十分罰を受けているので罰を与える必要はないと主張し、弁護人はアンネリーゼは自ら医学的な助けを拒否し、自分の命を神に委ね、自分の死を贖罪の一つと考え、これは彼女の道徳的な権利であり憲法で保障された権利であるため、4人全員の無罪を求めました。
1978年4月21日判決
彼女は2か月前には自分の運命を自由に決定する能力を失っており、悪魔祓いは病状をさらに悪化させた。せめて10日前に病院で適切な治療を受けさせれば命はとりとめたはずであるとして、4人全員を過失致死の罪とし、懲役6か月執行猶予3年、罰金と訴訟費用の負担を命じました。検察の求刑よりも重い量刑でした。
本人の信仰に基づいて医療を拒否することは最大限尊重すべきであるものの、その人が自ら意識をしっかりもてなくなり明らかに命の危機にあるときは、その信仰の自由は制限してでもその人を助けないといけないという優先順位を間違えてしまったため起きた悲劇と考えられます。また、まだこのときはまだ悪魔祓いをどこでストップするかに関するガイドラインがありませんでした。
現在エクソシストにとって悪魔祓いは最終手段となっており、まず医者に行きなさいと勧めます。その後にどうしても悪魔祓いをしたいという場合は、精神科医、心理学者や医師などを交えたエクソシストのチームを形成し、全員が見ているところで儀式を行います。アンネリーゼの事件がきっかけになっていると考えられます。
アンネリーゼの地元で起きた不思議な騒ぎ
アンネリーゼが埋葬されてから2年後,1978年2月25日地元の信心深い人達の希望で、両親や神父立ち合いのもと彼女の遺体が掘り起こされ、そのあと奇妙な噂が流れました。「遺体は骨がしっかりしていた」「顔は粉を吹いたように白かった」「遺体からはバラの香りがした」「アンネリーゼの遺体は聖なる人のように生き生きしていた」という噂です。これらは彼女を聖女とみなす人々によるものです。
アンネリーゼは、崇拝する人々の間で伝説となりました。その後もお墓の前には祈りを捧げる人が絶えなかったと言います。
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