オセージ族連続殺人怪死事件とは?オセージ族連続殺人怪死事件の犯人は誰?オセージ族連続殺人怪死事件の背景にあったものとは?キラーズ・オブ・ザ・フラワームーンのもとになった実話とは?

2023年レオナルド・ディカプリオとロバート・デ・ニーロの共演で話題となったアメリカ映画「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」は、今から約100年前、ある地域のアメリカ先住民族が何十人も暗殺された実話をもとにしたサスペンス映画です。

映画の元になった実際の連続殺人と恐怖の陰謀、事件の真相に隠されたアメリカの闇についてひも解いていきましょう。

オセージ族連続怪事件の犯人はどんな人?

今から約100年前の1926年オクラホマ州北部オセージ郡でオセージ族連続怪事件の黒幕として逮捕されたのはウィリアム・ヘイル(51歳)です。オクラホマ州北部に位置するオセージ郡は、広大な原野が広がる西部開拓時代の舞台となったオクラホマ州にアメリカ先住民の14.2%が暮らす、先住民が最も多く住む地域です。

1900年代の初頭オセージ郡にやってきたウィリアム・ヘイルは流れ者のカウボーイにすぎませんでした。ウィリアム・ヘイルは他の白人がオセージ郡に入る前、石油が出始めたころにオセージ族と暮らし始めました。懸命に働き身をおこし少しずつ土地を集め、やがて東京ドーム4000倍の大牧場を経営者へと成り上がりました。ウィリアム・ヘイルはフェアファックスで銀行や葬儀屋など複数の会社経営に関わっていました。郡庁所在地ポーハスカでも大きな影響力を持っていました。町の選挙では候補者はヘイル参りをして後ろ盾を得ることで次々に当選した結果、この地域の政治家、市長、裁判関係者や保安官など役人の多くはウィリアム・ヘイルの影響下に置かれていました。


一方でウィリアム・ヘイルは白人だけでなく、先住民オセージ族からも信頼を集める人物でした。ウィリアム・ヘイルはオセージ族のための学校や病院に多額の寄付を行い、教育や医療を受けやすくなるように支援しており、誰もがウィリアム・ヘイルに感謝していたのです。ウィリアム・ヘイルはオセージ族の副族長に、堂々と「オセージ族は私の生涯最良の友人であり、これからも私はオセージ族の真の友です」(副族長への手紙より)。

ウィリアム・ヘイルのフロンティアで努力をして独立自営の精神で成功していくというのは、アメリカ人が非常に好む成功者の人間像です。こういった人間像をもつウィリアム・ヘイルに対してオセージ郡の人々は尊敬していたのではないでしょうか。

そんな親愛とやさしさで知られたウィリアム・ヘイルに、なぜ先住民大量殺害の容疑がかかったのでしょうか?


オセージ族連続殺人怪死事件のはじまり

ウィリアム・ヘイル逮捕の5年前の1921年、この頃オセージ郡では不可解な殺人事件が相次いで起きていました。1921年5月ポーハスカ郊外の丘の上でオセージ族の男性ホワイトホーン(30歳)の遺体が発見されました。眉間に正確に2発、他殺は明らかでした。ほぼ同じ頃、フェアファックスの谷底でオセージ族の女性アナ・ブラウン(38歳)の遺体が発見されました。背後の至近距離から後頭部に1発撃たれていました。

翌年1922年2月の夜、オセージ族の男性が何者かに呼び出されたあと、急に痙攣(けいれん)を起こし死亡しました。3月にはオセージ族の女性、そして7月にはオセージ族の男性が同じような症状で相次いで死亡しました。

これだけ不審死が続いても、犯人逮捕に向けての捜査は進みませんでした。捜査をする白人にとっては、先住民だから…という気持ちもあったと思われます。当時、先住民はアルコール中毒で死ぬ人が多かったので、そう片づけられた可能性があります。


オセージ族謎の連続不審死と関係する幸運とは?

オセージ族謎の不審死には皮肉にも、オセージ族の奇跡的な幸運が関係しています。それはオセージの台地から噴き出した石油の莫大な利権です。

17世紀から19世紀にかけアメリカに入植した白人勢力は安く豊かな土地を求めて大陸西部に進出しました。先住民たちの土地を次々と略奪し、数多くの虐殺を重ねっていきました。19世紀にアメリカ連邦政府は、白人にとって有益な土地から先住民を追い出し、現在のオクラホマ州にあたる貧しい土地に部族ごとに保留地を定め、強制移住させました。保留地は連邦政府が管理する土地で、そこで先住民たちは独自の法律を定め自治を行うことを認められました。しかし、白人たちは先住民をだますようにして土地を安く買い取り次々と入植し、次々に自分たちの町を各地に作ると、白人の市長、裁判官や保安官たちで州の法律や制度での運営を行うようになったのです。いわば先住民のための保留地の一部が白人に有利な仕組みで乗っ取られたような状態です。多くの部族が白人から搾取抑圧され、貧困から抜け出せない苦しみを抱え続けました。ところがオセージ族は違ったのです。



19世紀の末、オセージ族の保留地が油田地帯であることがわかり、石油ビジネスを始めたのです。彼らは白人の石油業者たちに土地と石油を利用する権利を貸し出すことで莫大な金額を受け取りました。しかもオセージ族はこの利益を部族全体で守るため、特殊なルール「均等受益権」を定めました。石油で得た利益をオセージ族およそ2000人に年齢や性別に関係なく均等に分配するというルールです。しかもこの利権が白人に勝手に奪われぬよう、権利の移動は家族間での相続を原則としました。この権利をオセージ族以外の人間、とくに白人が権利を引き継ぐことがないようにすることが相続とした理由です。その金額は1人あたり1年12,000ドル(当時)で、なんと自動車が40代も買えるお金を全員が手にすることで、オセージ族は世界有数の大金持ちになりました。

ふって湧いた莫大なお金に、自動車を買いあさる人や豪邸に住んで白人や他人種の召使を抱える人が続出しました。当時のオセージ郡の中心都市ポーハスカはオイルマネーにより町は急速に発展しましたが、この豊かさこそがオセージ族に災いが押し寄せる元となったのです。莫大なお金と利権を持つオセージ族は全員、ならず者から狙われることになったのです。オセージ郡にはアメリカ各地の強盗や詐欺師などあらゆるど犯罪者が流入したのです。そんな中でおきた連続殺人事件だったのです。

ウィリアム・ヘイルがオセージ族を救う?

町の権力を握る白人の役人たちは連続殺人事件を見て見ぬ振りをしていた中、立ち上がったのはオセージの王であり、オセージ族の真の友であるウィリアム・ヘイルでした。ウィリアム・ヘイルは町の治安のため殺人の犯人を捕まえたものには、自らのポケットマネーで1,000ドルの報奨金を出すことを宣言しました。さらに私立探偵を雇い、オセージ族を殺した犯人を見つけ出そうとしました。オセージ族を我が事のように心配し、手を差し伸べました。

とくに銃殺されたアナ・ブラウンの事件では、自らが従える弁護士や医者に再捜査を命じるなど、真相究明に熱心でした。


なぜウィリアム・ヘイルはオセージ族を救おうとしたのか?

実は、ウィリアム・ヘイルとアナ・ブラウンは親戚関係にあったのです。

アナ・ブラウンは4姉妹(次女モリー、三女ミニー、四女リタ)の長女で、父親はオセージ族の勇者でしたが、当時すでに亡くなっていました。母リジーのもと、四姉妹は全員白人男性と結婚していました。そしてアナ・ブラウンの妹のモリー(33歳)の夫アーネストが、ウィリアム・ヘイルのおいでした。モリーはアメリカ政府の同化政策により英語など白人の文化を教え込まれましたが、オセージ族の伝統も大切にしました。アーネストとは近くの集落で出会い恋愛結婚し、子ども3人をもうけ円満な家庭を築いていました。


ウィリアム・ヘイルの親戚、モリーが見舞われた悲劇とは?

大切な姉アナが殺害されるだけではなく、実はモリーには悲劇が相次いでいたのです。3年前妹のミニーが突然急死しました。まだ27歳で健康そのものでしたが、急に衰弱し死亡したのです。医者の診断は原因不明の消耗性疾患ということでした。そしてその3年後1921年7月には、今度は母のリジーが日に日に衰弱し、アナの死から2か月後に母も死亡しました。そして医者の診断は今回も原因不明の消耗性疾患でした。

モリーの家族が一人死ぬごとにその遺言により、石油の均等受益権は姉妹の間で相続され、それはモリー夫妻と妹のリタ夫妻に集中していたのです。モリーとリタは次は私かもしれないとおびえ、リタの夫のビル・スミスは一連の出来事が犯罪ではないかと独自に調べ始めました。


そして1923年3月10日午前3時にフェアファックスで、四女リタの家で巨大な爆発が起こりました。四女リタと白人の使用人は即死、リタの夫のビル・スミスは4日後に死亡しました。爆発の原因は地下室に仕掛けられた大量のニトログリセリンでした。前代未聞の犯罪に弁護士など一部の白人たちも声を上げました。

「人間にこれほど下劣なことができるとは、われわれの理解を超えている」(フェアファックス紙社説)

「石をひとつ残らずひっくり返してでも犯人を見つけ、法の裁きをうけさせなければならない」(司法当局)

しかし、真相究明しようとする者は白人であろうと、あるものは銃殺、あるものは汽車から突き落とされるなど次々に殺害され、人々は巨大な圧力に誰もが口をつぐんだのです。

そんな中4姉妹で唯一残された次女モリーの体調が急速に悪化しました。ウィリアム・ヘイルが連れてきた医者が高価な薬を飲ませても悪化するばかりです。今、モリーが死ねば家族の石油の均等受益権を集めた莫大な財産は、夫アーネストが相続することになります。


連邦捜査局(BOI)の捜査開始

次々と仲間が殺されてくオセージ族を地元の役人、白人たちは見て見ぬ振りをしているとき、アメリカの首都ワシントンD.C.で事件の捜査に立ち上がった白人がいます。それがエドガー・フーバー(29歳)です。のちのアメリカ連邦捜査局(FBI)を創設し、40年あまりの長きにわたり長官を務めた人物でが、このときはFBIになる前の連邦政府の捜査局(BOI)の長官でした。

エドガー・フーバーは、オセージ族の事件を解決すべく、やり手の特別捜査官トム・ホワイトをオセージ郡に派遣しました。トム・ホワイトはオセージ郡に入ったものの、捜査は難航しました。まるで誰かに見張られているかのように、人々の口が堅くオセージ族殺害について語ろうとしませんでした。そこで、オセージ郡での様々な変死事件の資料を読み漁り、特殊なケースに目をつけました。それがこの数年間で4人も変死しているモリーの家族でした。その上もしモリーが死ねば、夫のアーネストに莫大な財産が転がり込むのです。もしこの筋書きの黒幕がウィリアム・ヘイルだとすれば、全ての辻褄(つじつま)が合うと考えたのです。しかし、ウィリアム・ヘイルはオセージの王であり、オセージ郡のあらゆる権力者に睨(にら)みがきくウィリアム・ヘイルに郡の当局は事情聴取さえ行っていませんでした。当然、その犯罪を告発する者など期待できません。


そこでトム・ホワイトは刑務所で、逮捕・収監されている囚人たちからウィリアム・ヘイルとアーネストの裏の情報を得ようとしたのです。事情を知っていそうな囚人の多くは原因不明の死を遂げていましたが、かろうじて残っていた細い糸をたどっていくとついに、ウィリアム・ヘイルはその権力で刑務所を抱き込んで囚人を外に連れ出し、リタの家に爆弾を仕掛けさせ、そして世間から隠すように再び刑務所に戻したことがわかったのです。さらに別の刑務所の囚人からもアーネストやウィリアム・ヘイルからオセージ族の殺害を依頼されたという証言が手に入りました。やはりウィリアム・ヘイルがすべての黒幕だったのです。トム・ホワイトは、アーネストとウィリアム・ヘイルにリタ夫妻と使用人爆殺の容疑で逮捕状を請求しました。

これに対しウィリアム・ヘイルは、余裕の態度で保安官事務所に出頭しました。ウィリアム・ヘイルは自分が有罪になるわけがないと確信していたのです。

1926年1月ウィリアム・ヘイルとアーネストが逮捕されました。アーネストは最初は口を閉ざしていましたが、リタ夫妻爆殺を頼まれた囚人に面会させるとあきらめたように口を開きました。リタ夫妻の爆殺を囚人に依頼したことを認め、話したことがばれたら叔父のウィリアム・ヘイルに殺されるので助けてほしいと付け加えました。一方のウィリアム・ヘイルは、余裕しゃくしゃくで全ての容疑を否認しました。オセージ郡の中では裁判官、陪審員、証言台に立つ証人も多くがウィリアム・ヘイルの影響下にあったので裁判になっても負けるはずがないと確信していたのです。

ウィリアム・ヘイル逮捕のニュースをオセージ族は複雑な思いで受け止めていました。ウィリアム・ヘイルが班員だと思っていた人たちはついに彼が捕まったことで少し安堵しましたが、一方でウィリアム・ヘイルが実際に関与していない犯罪で陥(おとしい)れられていると本気で考える人も大勢いたようです。

ウィリアム・ヘイルとアーネスト逮捕からしばらくするとモリーの体調は回復しました。ウィリアム・ヘイルの医者が薬に見せかけた毒を飲ませていたと言われています。


ウィリアム・ヘイルは自分自身で決して手をくだしません。殺人依頼も甥のアーネストを通じて行い、事件の時は明確なアリバイを作っておきました。さらに、実行犯を消すため、実行犯をそそのかし店に強盗に入らせ、店主が強盗をみつけて射殺するということまで行っていました。自分の手を汚さずに、実行犯まで消すという非常に巧(たく)みで悪質な人でした。

ウィリアム・ヘイルもかなり悪質な人でしたが、当然これだけの殺人事件が町の中でおこっているので、誰かしら何かの情報は持っているはずなのですが、町の中の人々はウィリアム・ヘイルが怖いのか仲間が怖いのか、口をつぐんでしましました。だからこそ捜査がおくれましたし、今でもわからないことがたくさんあるのです。ウィリアム・ヘイルやその仲間の犯行であると同時に、口をつぐむ、見て見ぬ振りをする町の中で共有されていく雰囲気がこの殺人事件の解決を難しくしていったと考えられます。


なぜ連保捜査局が動いたのか?

FBIになる前の連邦政府の捜査局(BOI)は、のちの連邦捜査局FBIの前身ですが規模ははるかに小さいものでした。現在FBIの支局の数は56か所、捜査員は3万千人いますが、ところが当時の捜査局の捜査員はわずか5~600人程度でした。

連邦捜査局局長エドガー・フーバーはオセージ族を助けるよりも、マスコミが注目する金持ち部族の連続怪死事件を利用し、捜査局の大々的なアピールを測ろうとしたのです。

オセージ族はアナ・ブラウン殺害事件の直後から捜査局に捜査を依頼したいましたが、かなり時間がたってから捜査局は動きました。先住民だから放っておくという意識もあったと思われますが、保留地が僻地(へきち)にあるために捜査員を派遣することが困難であったという様々な理由がありそうです。しかしこの初動捜査の遅れは、アメリカ社会の先住民に対する偏見を如実に表しているのではないでしょうか。


裁判~連邦政府捜査官の勝ち目のない戦い

1926年3月オセージ郡ポーハスカ裁判所にて、ウィリアム・ヘイルとアーネストをリタ夫妻と複数のオセージ族殺害の容疑で審理する裁判が始まりました。しかしこのときれ連邦政府捜査官トム・ホワイトは勝ち目のない戦いを強いられていました。この裁判が連邦裁判所ではなくオクラホマ州管轄オセージ郡ポーハスカ裁判所だったためです。当時「オセージ郡では誰がどんな罪を犯しても、無罪判決は金で買える」とささやかれていました。

アメリカには州や郡で起こった犯罪を裁く裁判所とは別に、州をまたいで行われた犯罪や連邦政府が管轄している先住民保留地で起こった犯罪を裁く連邦裁判所が存在します。先住民保留地で起こった事件は連邦裁判所で裁くことができますが、アナとリタ夫妻の殺害場所は先住民保留地ではなかったため、オセージ郡ポーハスカ裁判所で行われることが確定したのです。

1926年3月12日ウィリアム・ヘイルとアーネストを裁く裁判が始まりました。その中でアーネストは地元オセージ郡での裁判に恐怖を感じ、オセージ族殺害についてウィリアム・ヘイルと話をしたことはないと主張し、捜査官のトム・ホワイトは銃を向け時には電気ショックを与えて自供を強要したため嘘の自供をするしかなかったと主張したのです。ウィリアム・ヘイルも捜査官のトム・ホワイトに同じことをやられたと主張しました。


ところが、1926年6月9日にアーネストは自分の罪を認め、叔父のウィリアム・ヘイルに命じられて罪を犯したと告白したのです。実はこの数日前にモリーとアーネストの4歳の娘アナが病死し、半年前から刑務所に囚われていたアーネストはその葬儀に立ち会うことができなかったのです。権力者である叔父ウィリアム・ヘイルへの忠誠心より、愛する娘を失った悲しみの方が大きかったと思われます。アーネスト・バークハートに終身刑と重労働という判決が下されました。

さらに捜査官トム・ホワイトに追い風が吹きました。リタ夫妻爆殺とは別にウィリアム・ヘイルの関与が疑われる殺人事件が連邦政府の裁判所で裁かれることが認められたのです。

その事件とは2年前ウィリアム・ヘイルが巨額の保険金をかけたオセージ族の男性が何者かにより銃殺され、保険金がウィリアム・ヘイルの元に転がり込んでいたというものです。その現場は白人に売却されていない先住民保留地、すなわちオクラホマ州ではなく連邦政府管轄の地域でした。これでオセージの王ウィリアム・ヘイルの影響力を排除した裁判が可能になりました。1926年7月29日にオセージ郡から離れたガスリー市の連邦地方裁判所で、ウィリアム・ヘイルに対する保険殺人の裁判が始まりました。証言台に立ったアーネストはウィリアム・ヘイルをかばおうとはせず「叔父のウィリアム・ヘイル達が保険金殺人について話をしているのを聞いた、最初は毒入りのお酒で殺そうとしたが、自殺に見せかけた銃殺に切り替えた」と証言しました。一方ウィリアム・ヘイルは、人殺しなど計画したことはないと主張し、あくまで否認しました。最後の評決に及んでも白人の陪審員の意見は一致しませんでした。白人の有力者による先住民殺害を白人がどう判断するか、評議が何度も繰り返されました。そして1926年10月28日ウィリアム・ヘイルに対する陪審員の評決は、第一級殺人罪で有罪というもので、ウィリアム・ヘイルは終身刑が言い渡されました。


その後アナ・ブラウン殺害実行犯の裁判などで、オセージ族殺害事件のうち10件近くにウィリアム・ヘイルたちが関与したと推測されています。しかしオセージ族連続怪死事件は全面解決からはほど遠い状況でした。実はその犠牲者は60人にのぼるとも言われています。ウィリアム・ヘイルだけでなく他の有力者や医者など大勢の白人がオセージ族の財産目当てで殺人と口封じを重ねたのではないか、言わば町ぐるみの殺人だった可能性もあります。真相は未だ闇に包まれています。

当時捜査局は主犯格のウィリアム・ヘイルが捕まれば芋づる式にわかってくるだろうと思われますが、実際には一部の事件しか明らかになりませんでした。第二 第三のウィリアム・ヘイルが町の中にいたということです。

犯罪は犯罪を犯したい人がいて、犯罪のターゲットになる人がいて、そして犯罪を犯してもよいという環境の中で起きると言われています。罪を犯してもよいという環境というのは、犯罪をなんとなく周囲が許してしまう環境です。そういう意味においては、この地域全体が共犯者なのかもしれません。

この事件は”思いやり”や”善意”という感情の裏に潜む白人優越主義を露呈した事件でもあったのではないでしょうか。現代社会でもマジョリティ(多数派)がマイノリティ(少数派)を見る視点に引き継がれていると思われます。自分たちとは異なる価値観、文化を持つひとたちの利益を社会がどのように守っていけるのか考えていかなければいけませんね。


当時先住民族が置かれていた状況とは?

自分たちが住む土地から石油が出て、世界有数のお金持ちとなったオセージ族ですが、そのオセージ族の土地で市長、保安官や裁判官など権力を持っているのは白人でした。しかもオセージ族が次々と殺されているにも関わらず、白人たちは全く守ってくれないという、町は異常な状態だったようです。このような背景には、何があったのでしょうか?

19世紀末までのアメリカ先住民政策というのは先住民を武力で制圧するという軍事政策を取っていました。しかし20世紀にはいると、生き残った先住民をアメリカ人にしようという同化政策をとりました。具体的には、先住民に英語や白人の生活様式や技術などをを教える、とくに学校教育を通して行う同化教育が中心でした。この同化教育というのは、白人の文化が優れていて、教育を施す先住民の文化が劣っているという、上から目線の非常に差別的な政策でした。

オセージ郡だけでなく、当時まだアメリカの中では先住民の殺人、犯罪が捜査されないケースは多くあったようです。先住民保留地は連邦政府の管轄でしたが、その周辺にある郡や州の土地は郡警察、州警察の管轄でした。こうした複雑な司法制度、刑事制度が、先住民保留地で起こった事件の解決を困難にしていたと考えられます。


「オセージ族の真の友」というウィリアム・ヘイルのいびつな親切心は、当時の連邦政府が先住民に対して進めた同化政策に共通するものだと言います。1920年代、当時の白人たちの差別意識は黒人と先住民で大きな違いがありました。当時の白人は、黒人のことを人間とは認めていませんでした。もともと奴隷として連れてこられた黒人は労働力として、基本的人権は認められていない状況でした。一方先住民は野蛮で無教養だが、教育してあげれば人として成長させることができる上から目線で本気で考えていました。連邦政府は先住民に後見人をつけました。この後見人はオセージ族のお金を管理する役割を持ち、後見人に選ばれたのが地元の有力な白人でした。先住民を劣った存在とみなし、白人の文化を強制的に教え込むことで、アメリカ社会の一員として取り込む同化政策は、いわば親切という名の差別意識がウィリアム・ヘイルのオセージ族への親切の正体だったのです。このようなゆがんだ善意は白人優越主義、深い差別意識につながっていき、こうした差別意識は自分たちが教育をしてあげる、施しをしてあげる人たちの命、文化、言葉をたやすく変えることができるのだというマインドに繋がっていく危険性があったと思われます。

心理学の分野では、好意的差別という言葉があります。差別は誰かを憎んで馬鹿にして差別するだけではなく、女性に対して表れやすいのですが(好意を持って)レディーファーストしたりするのですが、女性は弱い存在だから重たい荷物が持たせない、重たい責任は負わせないという一見優しいのですが、結果的に差別につながっているところがあるのだそうです。



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